革命の原動力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 07:09 UTC 版)
東欧革命の波及には、テレビが大きな役割を果たした。この時期すでに、ほぼすべての出来事がリアルタイムでニュースとして世界中に配信され、同時代人はこれを共通の体験として受け止めることができた。一方、東欧各国の共産党政府は国営放送を一元的に管理下に置いていた。これは政府が国民の受け取る情報を一貫してコントロール可能であることを意味する(そのため、ルーマニア革命では救国戦線軍が真っ先に国営放送を占拠した)が、にもかかわらず、周辺地域において進行する一連の革命を国民に隠すことは出来なかった。国外からの電波、特に西側諸国の衛星放送(エストニアではフィンランドのテレビ放送。東ドイツでは西ドイツのテレビ放送)が視聴できたためである。 こうして、次々と入ってくる周辺諸国での変革の情報が、東欧各国での革命をさらに進行させることとなった。1989年6月18日のポーランド人民共和国の解体を皮切りにして、同年末日までの短期間で、東欧のすべての共産党国家が連鎖反応的に潰れた背景には、このようなメカニズムがあったのである。
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