難波頼輔とは? わかりやすく解説

難波頼輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 16:47 UTC 版)

 
難波頼輔
難波頼輔像
東京大学史料編纂所所蔵
時代 平安時代後期 - 末期
生誕 天永3年(1112年
死没 文治2年4月5日1186年4月25日
改名 親忠(初名)→頼輔→覚禅(法名)
別名 鼻豊後[1]
官位 従三位刑部卿
主君 崇徳天皇近衛天皇後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇
氏族 藤原北家花山院流難波家
父母 父:藤原忠教、母:賀茂成継の娘
兄弟 藤原忠基藤原教長頼輔、藤原忠兼、藤原師教、藤原親忠、藤原有教、藤原教良、明源、藤原基教、教仁、教智、教覚、寛敒、藤原通季
頼経、兼雲、教尊、藤原経家
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難波 頼輔(なんば よりすけ)は、平安時代後期から末期にかけての貴族歌人藤原北家花山院流大納言藤原忠教の四男[2]蹴鞠の二大流派、難波飛鳥井両家の祖。

経歴

母方の賀茂神主家に蹴鞠の名手が多かった事から、幼少より鞠を習い「蹴聖」と称された藤原成通に教えを受けたという。

白河院政期後期の天治2年(1125年従五位下叙爵大治2年(1127年山城守に任ぜられるが、鳥羽院政が始まった大治4年(1129年)には山城守を辞したとみられる。その後、鳥羽院政期から後白河院政期初期にかけての約30年に亘って官職についた形跡がなく、長く散位であったか。この間の保延2年(1136年)治国を賞されて従五位上に昇叙されている。

久寿3年(1156年)正月に20年ぶりの叙位を受けて正五位下に昇進する。しかし、同年7月に発生した保元の乱では、次兄の参議藤原教長崇徳上皇の側近であったために常陸国に配流され、頼輔も乱への積極的な関与はなかったものの、東山に籠居した。その後、芸能を愛する後白河法皇に蹴鞠の才能を認められ、藤原師長源資賢と共に院近臣に加えられた。その蹴鞠の才は「無双達者」「本朝蹴鞠一道之長」と称された。

永暦元年(1160年豊後守に任ぜられるが、鼻が大きかったため「鼻豊後」と呼ばれた。永万2年(1166年)子息である頼経壱岐守への任官と引き替えに、頼輔は豊後守を辞するが引き続き豊後国に留まり国務にあたった。同年に従四位下皇太后宮亮仁安3年(1168年)従四位上、嘉応2年(1170年刑部卿承安元年(1171年)に正四位下に叙任されている。

治承5年(1181年)に平清盛が没すると各地で反乱が起こり、頼輔の知行国であった豊後も動乱状態となった。頼輔は知行国の支配安定を図るため豊後に下向[3]、現地の武士・緒方惟栄の説得に成功する。なお、寿永2年(1183年)10月に都を追われ九州に逃れてきた平家一門を撃退したのは、頼輔の命を受けた維栄だった。

養和2年(1182年)上位者5名(源俊光・藤原季経藤原泰通藤原雅隆・藤原信経)を越えて従三位に叙せられ公卿に列す。公卿昇進後も引き続き刑部卿を務め、周防権守喪兼帯した。文治2年(1186年)2月に病悩により出家し、4月5日に薨去。享年75。

人物

歌人としての活動も活発で、源頼政藤原清輔寂蓮ら多くの歌人と交流があった。『千載和歌集』(5首)以下の勅撰和歌集に28首入集している[4]家集に『頼輔集』がある。

官歴

公卿補任』による。

系譜

脚注

  1. ^ 鼻がおおきく、知行国の豊後から鼻豊後とよばれた。
  2. ^ 公卿補任
  3. ^ 玉葉
  4. ^ 『勅撰作者部類』
  5. ^ 『中右記』大治2年正月20日条
  6. ^ 大治5年(1130年)正月28日に大中臣宗長が任官(『中右記』)

参考文献

先代
藤原忠教
難波家当主
2代
次代
難波頼経




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