集諦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:36 UTC 版)
Idaṃ kho pana bhikkhave dukkhasamudayaṃ ariyasaccaṃ: yā’yaṃ taṇhā ponobhavikā nandirāgasahagatā tatra tatrābhīnandanī, yeyyathīdaṃ: kāmataṇhā bhavataṇhā vibhavataṇhā (南伝大蔵経)比丘等よ、苦集聖諦とは此の如し、後有を齎し、喜貧倶行にして随處に歓喜する渇愛なり、謂く、欲愛、有愛、無有愛なり。 (参考現代語)比丘たちよ、苦の集起についての真理とは以下である。繰り返す有(再生)をもたらし、喜び(ナンディ)と貪(ラーガ)を伴って随所に歓喜する渇愛(タンハー)である。つまりは、欲愛(カーマタンハー, 感官によって得られる刺激・快楽への渇愛)、有愛(バヴァタンハー, 存在への渇愛)、無有愛(ヴィバヴァタンハー, 存在しないことへの渇愛)である。 — 大犍度
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