開発前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 14:23 UTC 版)
沙田区の一帯は、古くは瀝源(中国語版)と呼ばれていた。これは、城門川を流れる水に由来する地名である。隣接する大埔区では、石器時代から原住民が住んでおり、沙田区では、馬鞍山で新石器時代や青銅器時代の出土物が発見されていることから、明の時代以前には既に人が定住していたとされる。河岸に位置するため、主に農業が営まれていた。 1574年、現在の大囲(中国語版)一帯に、大囲村が建設され、城壁で囲まれた村としてはこの地域で最古かつ最大のものである。その後、城門川沿いの浅瀬であった山下囲、小瀝源、沙田にも村落が形成された。当時、城門川の河口は現在の獅子橋付近にあり、その北東は沙田海で、圓洲角は沙田海の中欧に浮かぶ小島であった。 清の時代には、瀝源に存在した40以上の村が「沙田九約」を結び、共同で治安維持を行うようになった。当時瀝源には市場がなかったため、最寄りの大埔墟(現在の大埔旧墟)まで徒歩や小舟で向かわなければならなかった。
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