部隊の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 21:04 UTC 版)
「グロースゲルシェンの戦い」の記事における「部隊の展開」の解説
4月末、フランス第6軍団はケーゼンに到着した。第4軍団はドルンブルク(英語版)に至る。ウディノ元帥の第12軍はザールフェルト近郊、ナポレオンの本営ならびにトレヴィーゾ公率いる近衛部隊はナウムブルクの周辺にあった。イタリア副王の軍はジャック・ローリストン(英語版)少将指揮下の第5軍団をもってライプツィヒの町を脅かし、同地でフリードリヒ・フォン・クライスト(英語版)中将率いるプロイセン軍(英語版)の分遣隊と対峙していた。第3軍団の先頭を進んでいたジョセフ・スアム(英語版)師団将軍の師団は4月30日、ヴァイセンフェルスの近郊にあり、セルゲイ・ランスコイ(ドイツ語版)少将率いるロシア騎兵をポーザーンバッハの後方へと圧迫し、その町を占領した。指揮下の部隊とともにアルテンブルクで連合軍主力の左翼を守っていたミハイル・ミロラドヴィチ大将はツァイツ(英語版)に進軍し、後退してきたランスコイ少将のフザールを収容する。 5月1日、プロイセンとロシアの部隊はエルスター川とプライセ川の間で合流した。ロシア皇帝アレクサンドル1世とプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は5月2日の早朝2時、ボアナ(英語版)を離れてリュッツェンへの前進を親閲するため午前4時30分にペーガウ(英語版)に到着する。ブリュッヒャー大将率いるプロイセン軍の右翼集団はボアナからエルスター川を渡るべく、ドーレンヘ向かった一方、ツィーテン少将の旅団とドルフス(ドイツ語版)大佐の予備騎兵旅団は左翼で方向を転換し、ペーガウへと進んだ。下シュレーズィエン旅団はシュトルクヴィッツ(ドイツ語版)で川を渡り、その後をベルク(ドイツ語版)伯爵中将率いるロシアの歩兵軍団が続く。プロイセンのヨルク軍団に属するホルン(ドイツ語版)旅団とヒューナーバイン(ドイツ語版)旅団は同じくペーガウでエルスター川を渡るため、ツヴェンカウ(英語版)からアウディガスト(ドイツ語版)へ向かう。アレクサンドル・トルマソフ(英語版)大将率いる予備隊はフローブルク(英語版)から主力軍の後を追った。
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