軍学者
軍学者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 07:17 UTC 版)
小幡景憲から甲州流軍学を学び、それを改良し北条流兵法を開いた。近藤正純・富永勝由・梶定良らとともに「小幡門四哲同学」として名が挙がっている。 『兵法雄鑑』『雌鑑』『士鑑用法』など多くの軍学関係の書籍を残しており、また幕府の軍制を整備して慶安の軍役令を起草している。 氏長の兵法の特徴はまず、それまでの“軍学”や“軍法”といった言葉ではなく兵法という言葉を用いたことである。これまでの軍法は抽象的、概念的なものや武士の心得といったものが多分に含まれていたが、氏長の兵法は「実践に役立つ軍事学のみ」であった点が大きい。 例えばこうである。 篭城してる時、敵が銃弾や弓矢を撃ってくる時、負けじと反撃するのは損である。そういう時は敵はいきなりは襲ってこないものである。攻め手兵がこちらの石垣や塀に取り付いている時こそ、矢玉を使うチャンスである。身を乗り出してでも撃つべきである。なぜなら攻め手側の射撃手は“味方兵に当たるのを恐れて”撃ってこないから。 慶安3年(1650年)には、後述するオランダ東インド会社に勤務していたスウェーデン人砲兵士官のユリアン・スハーデルによる攻城実演をまとめ上げた日本初の洋式攻城・築城術書『攻城 阿蘭陀由里安牟(オランダ・ユリアン)相伝』を将軍家光に献上している。
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