西村総左衛門
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西村 総左衛門(總左衛門、にしむら そうざえもん、1855年7月8日(安政2年5月25日[1][2]) - 1935年(昭和10年)5月16日[2])は、明治から昭和時代前期にかけての染色家。千總当主。本姓は三国、名は直篤[2]。
- ^ a b c 清田 1915, 特71頁.
- ^ a b c d e f 上田ほか 2001, 1441頁.
- ^ 西村總左衛門『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 千吉商店の歴史ちおん舎
- ^ 中川麻子「《美術染織》概念の成立経緯」『デザイン学研究』第58巻第6号、日本デザイン学会、2012年3月、51-60頁、doi:10.11247/jssdj.58.6_51、ISSN 09108173、NAID 10030136788。
- ^ 『開国五十年史:附録』開国五十年史発行所, 1908、p325、千切屋織物店
- ^ 日本経済新聞・2021年1月24日(日)第14-15面「美の粋 万国博覧会と美術(3) 美術染織 京都の技 結集」(文・岩本文枝)。
- ^ 西村総左衛門『人事興信録. 第12版下』1940
- ^ 田中一馬『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 内貴清兵衞『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- 1 西村総左衛門とは
- 2 西村総左衛門の概要
- 3 脚注
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