藤原宮焼亡説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:30 UTC 版)
『扶桑略記』に、藤原京と大官大寺が和銅4年(711年)に焼失したという記事がある。これが事実だとすると、遷都の翌年に焼けたことになる。しかし、藤原京跡での発掘で、火災の痕跡は発見されていない。一方、大官大寺は金堂や塔、回廊で焼け落ちた痕跡が見つかった。遺物から8世紀ごろのものとみられる。
※この「藤原宮焼亡説」の解説は、「藤原京」の解説の一部です。
「藤原宮焼亡説」を含む「藤原京」の記事については、「藤原京」の概要を参照ください。
- 藤原宮焼亡説のページへのリンク