自供した事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 03:21 UTC 版)
1987年12月11日、オセールで下校中に行方不明になったイザベル・ラヴィル(Isabelle Laville、当時17歳)は、19年後の2006年7月にオセールから約20km離れたビュシー・アン・オトの井戸の中で遺体で発見される。警察はフルニレの証言に基づいて、調査のために詰まっていた井戸を地下30メートルまで調べなければならなかった。また、この事件はしばらくこの地方で活動していた別の連続殺人犯であるエミール・ルイの犯行とみなされていた。 シャロン=アン=シャンパーニュで行方不明になったファビアンヌ・ルロワ(Fabienne Leroy、当時20歳)は、フルニレに性的暴行を受けたあと、胸を銃で撃たれ殺害。後にモルメロン・ル・グランの軍事演習場近くの森の中で遺体で発見された。 1989年3月18日、シャルルヴィル・メジエールで行方不明になったジャンヌマリー・デラモウ(Jeanne-Marie Desramault、当時21歳)は、フルニエの私有地内で遺体で発見された。フルニレはオリヴィエと列車にのっている途中に彼女に出会い、誘拐していた。 1989年12月20日、ベルギーのサン・セルヴェでエリザベート・ブリシェ(Élisabeth Brichet、当時12歳)が行方不明になった。フルニエとオリヴィエは友人の家から出てくるブリシェを監視し、「病院に行きたいので同行してくれ」と嘘の頼みをして誘拐した。その後、フルニエはブリシェに性的暴行を加え、自宅に戻った後に殺害した。 2004年7月3日にフルニレがブリシェを自分の私有地に埋葬したと自供するまで、この事件は マルク・デュトルーの犯行と誤認されていた。 1990年11月24日、ナント教会のレゼで行方不明になったナターシャ・ダネ(Natacha Danais、当時13歳)は、裁判所に召喚されてナントに来ていたフルニレとオリビエに誘拐され、数日後ナントから70kmほど離れたブレム・シュル・メールの海岸で暴行された遺体で発見された。事件当時は、フルニエと同様の車を持っていた近隣住民だった政治活動家ジャン・グロワが容疑者として指名手配、逮捕された。なおグロワは、本事件に関する家宅捜索中にETAの組織員と推定される3人に発見され、逮捕された数週間後に刑務所で自殺した。 フルニレと刑務所でともに収監されていたことがあるジャン=ピエール・エルグアルク(Jean-Pierre Hellegouarch)の知人であるファリダ・アミシュ(Farida Hamiche)は、1990年にフルニレに殺害された。フルニレはアミシュが持っていた金を奪う目的で殺害した。一方、アミシュの遺体は最終的に発見されていないため、裁判からは除外された。 2000年、バカロレアを受験するためにシャルルヴィル・メジエールに移住してきたセリーヌ・セゾン(Céline Saison、当時18歳)が行方不明になり、ベルギーで遺体で発見された。 2001年5月5日、タイ系フランス人であるマニャナ・テュンポン(Manyana Thumpong、当時13歳)が図書館から帰宅途中に行方不明になり、ベルギーで遺体で発見された
※この「自供した事件」の解説は、「ミシェル・フルニレ」の解説の一部です。
「自供した事件」を含む「ミシェル・フルニレ」の記事については、「ミシェル・フルニレ」の概要を参照ください。
- 自供した事件のページへのリンク