だいいち‐こうとうがっこう〔‐カウトウガクカウ〕【第一高等学校】
第一高等学校
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1887年(明治20年)9月18日大蔵省を離れ、20日第一高等中学校教員、11月第三部(医科)第一級生徒長教員となり、12月20日教諭、1890年(明治23年)頃教授に進んだ。1889年(明治22年)には本郷区丸山新町11番地に住んでいる。 明治20年代には独逸講文会で講義を行ったほか、1896年(明治29年)陸軍中央幼年学校教授を嘱託され、1898年(明治31年)6月勲六等瑞宝章を受章した。 1897年(明治30年)頃第一高等学校独逸文学科主任に就き、また本郷区駒込片町10番地に居住している。 1902年(明治35年)3月31日病気により退職したが、4月1日嘱託講師として残留し、保志虎吉、山川幸雄等老齢の教師と共に英法科でドイツ語を教え、1921年(大正10年)引退した。1912年(明治45年)には代々幡村代々木285番地に居住している。
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