秋田町とは? わかりやすく解説

秋田町

読み方:アキタマチ(akitamachi)

所在 徳島県徳島市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒770-0934  徳島県徳島市秋田町

秋田町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/01 13:43 UTC 版)

日本 > 徳島県 > 徳島市 > 秋田町
秋田町
ヤラカスシティホール(秋田町5丁目)
日本
都道府県 徳島県
市町村 徳島市
地区 東富田地区
人口
2009年(平成21年)9月
 • 合計 539人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
770-0934

秋田町(あきたまち)は、徳島県徳島市町名。現行行政地名は秋田町一丁目から秋田町六丁目。2009年12月現在の徳島市の調査による人口は589人、世帯数は342世帯。郵便番号は〒770-0934。

地理

東富田地区に属する。秋田町一丁目・二丁目は隣接する栄町紺屋町などと合わせて徳島市の主要歓楽街、徳島の夜の町として知られている[1]。秋田町という語はこれらの隣接地域を含めた徳島市の繁華街一帯を表すこともある。逆に秋田町三丁目 - 六丁目は住宅や商店が多くなっており、歓楽街としての秋田町を指す場合は三丁目 - 六丁目は含まない場合が多い。

遊廓が残る町でもある[2]。秋田町の遊廓は明治初年に阿波藩主・蜂須賀氏徳島城から局長家を移して遊女家を許可したことに始まったものとされている[3]

歴史

元は富田浦町の一部であったが、昭和16年より現在の町名となった。江戸時代には淡路町通・裏淡路町と称されていた。昭和16年の大徳島市地図によれば秋田町は道幅が狭く、雑貨店・飲食店・食料品店などの商家が並び、1丁目には劇場・映画館の信富座があった。昭和20年の徳島大空襲では著しい戦災を受けた。

現在の5丁目には明治5年の名東県によって富田新地(後の南新地)に遊廓が設置された。明治11年に営業地域が同地と板野郡林崎村丸山の2箇所に限定され、公娼地となった。昭和33年売春防止法が全面施行され、遊廓は廃止された。

交通

道路

バス

徳島バス徳島市営バス
  • 秋田町一丁目
  • 秋田町三丁目
  • 秋田町四丁目

施設

参考文献

脚注

  1. ^ とくしま夜の街 ネットとくしま(徳島情報サイト)
  2. ^ 全国遊郭案内(昭和5年・日本遊覧社刊)
  3. ^ 全国遊郭案内(昭和5年・日本遊覧社刊)

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「秋田町」の関連用語



3
16% |||||








秋田町のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



秋田町のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日本郵政株式会社日本郵政株式会社
Copyright (C) 2025 JAPAN POST SERVICE Co.,Ltd. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの秋田町 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS