熊谷守一
熊谷守一
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熊谷 守一(くまがい もりかず、1880年〈明治13年〉4月2日 - 1977年〈昭和52年〉8月1日)は、日本の画家。日本の美術史においてフォービズムの画家と位置づけられている。しかし作風は徐々にシンプルになり、晩年は抽象絵画に接近した。富裕層の出身であるが極度の芸術家気質で貧乏生活を送り、「二科展」に出品を続け「画壇の仙人」と呼ばれた。勲三等(辞退)、文化勲章(辞退)。
- ^ 児玉九峯; 藤田桜鉄「熊谷孫六郎君」『濃飛名誉人物評 上』濃飛名誉会、1894年。
- ^ 歴代議長・副議長岐阜県議会
- ^ 岐阜市 編「市制の実施」『岐阜市史』岐阜市、1928年。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 明治45年2月』衆議院事務局、1912年、32頁。
- ^ 『私の履歴書 (文化人 7) 』(日本経済新聞社, 1984)
- ^ a b c d 守一略歴熊谷守一つけち記念館
- ^ 1904年卒業(『東京美術学校一覧 従明治37年至明治38年』東京美術学校、1905年、111頁。)。
- ^ 田村祥蔵『仙人と呼ばれた男』
- ^ 石塚太喜治はここで守一に師事した。
- ^ 略年譜熊谷榧つけちギャラリー
- ^ 熊谷守一歴史が眠る多磨霊園
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