海上戦の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:33 UTC 版)
詳細は「アメリカ独立戦争の海軍作戦行動」、「アメリカ独立戦争におけるフランス」、および「アメリカ独立戦争におけるスペイン」を参照 独立戦争が始まった時、イギリスはアメリカ植民地に対し圧倒的な海軍力を誇っていた、帝国海軍には100隻以上の戦列艦と多くのフリゲートやその他小さな艦船があった。ただし、老朽艦が多く、最初の海軍大臣サンドウィッチ伯爵が非難していたようにあまり整備が行き届いているとは言えなかった。開戦後の3年間、海軍は主に陸上兵力の移送と商船の護衛に使われていた。アメリカ植民地側には、戦列艦など1隻も無く、イギリスの商船を襲う私掠船に頼るところが大きかった。私掠船は、フランスが戦争に加担する前からそしてその後もフランスのイギリス海峡に面した港を拠点として活動していたので、帝国海軍を困らせ英仏関係をこじれさせていたが、その物質的な戦果の割には戦争全体に与える影響が小さかった。大陸会議は1775年10月にアメリカ海軍の創設を承認したが、小さなものだったので主に商船への襲撃に用いられていた。ジョン・ポール・ジョーンズ船長が1778年4月24日に英国艦HMSドレークを鹵獲し、アメリカ海軍では最初の英雄になった。このノース海峡の海戦はイギリス海軍に対する最初のアメリカ艦船の勝利でもあった。 フランスが戦争に加担したことで、イギリス海軍の優越性はそれ程のものではなくなってきた。しかし、フランスとアメリカの連合軍は1778年のロードアイランドの戦いや1779年のサバンナの戦いではうまく機能しなかった。その原因の一つはフランスとアメリカの軍事的な優先順位が異なっていたことにあった。フランスは、アメリカの独立を確保する前に、西インド諸島にあるイギリスの占領地を取りたかった。フランスからアメリカに対する財政的な援助は既に厳しい段階に来ていたので、1780年7月にロシャンボー伯爵が率いる大部隊が到着するまでは、軍事的にあまり有効な結果に繋がるまでには至らなかった。 スペインがアメリカ側で参戦した意図には、1704年にイギリスに占領されたジブラルタルとメノルカ島を奪い返すということも含まれていた。3年以上にわたってジブラルタルの包囲戦を行ったが、イギリス軍守備隊は頑強に守り抜き、1780年のサン・ビセンテ岬の月光の海戦におけるロドニー提督の勝利の後は補給も適って防衛できた。それでもフランスとスペインは何とかジブラルタルを取ろうとしたが、失敗に終わった。メノルカ島の方は1782年2月5日にフランスとスペインの連合軍で奪取に成功し、スペインは独立戦争後も正式にイギリスから領有を認められた。
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