浮世絵師として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/23 02:19 UTC 版)
1797年(寛政9年)、三島陣屋を退職し、駿河国の有渡郡府中宿に移り、浮世絵師として活動するようになった。「正月六日三島祭」と題した作品は、『東海道名所図会』巻之五に収録されている。なお、府中宿に移ってから養女を迎えたが、この養女が医師に嫁ぐことになった。それを機に、千日詣に行くと言い残して家を出て、そのまま遠江国の佐野郡伊達方村で暮らすことにした。 その後、1800年(寛政末年)になると、同じく佐野郡の日坂宿に転居した。日坂宿では、画業に励む傍ら煙草屋「きらん屋」を開業した。なお、日坂宿にて後妻を迎えている。
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