流の成立と変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:31 UTC 版)
町割りはまず中心となる一小路(市小路)を南北に定め、東に東町筋、西に西町筋、土居町筋、東西に横町筋、魚町筋と定められた。 この際、筋毎に町の集合体である流を組織した。南北縦筋に東町流、市小路流(呉服町流)、西町流、土居町流(土居流)、東西横筋に石堂流(恵比須流)、魚町流(福神流)、最も福岡側寄りの博多川沿いに洲崎町流(大黒流)を配した。 毎年これら7流のうち6流が博多祇園山笠の山笠当番を務め、1流が能当番を務めた。また、博多どんたくの前身(中核)である博多松囃子では、福神流、恵比須流、大黒流が三福神の当番を務め、他の4流が交代で稚児流の当番を務めた。 流はそののち町の発展と共に、厨子流(櫛田流)、新町流、築港流、沖浜流と拡大した。このうち新町流は岡新町流(のちに岡流、現在の祇園町一帯)と濱新町流(のちに濱流、現在の大博町・神屋町一帯)に二分された。
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