民主党予備選
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「1860年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「民主党予備選」の解説
民主党の候補者 ダニエル・ディッキンソン、元ニューヨーク州選出アメリカ合衆国上院議員 スティーブン・ダグラス、イリノイ州選出アメリカ合衆国上院議員、1852年と1856年の大統領選挙候補者 ジェイムズ・ガスリー、元財務長官、ケンタッキー州出身 ロバート・ハンター、バージニア州選出アメリカ合衆国上院議員 アンドリュー・ジョンソン、テネシー州選出アメリカ合衆国上院議員 ジョセフ・レーン、オレゴン州選出アメリカ合衆国上院議員 ホレイショ・シーモア、元ニューヨーク州知事 民主党は奴隷制問題で党が2つに割れていた。4月のチャールストンでの党員大会で、50名の南部党員が綱領に関する議論の末に会場を後にした。 ダグラスは奴隷制問題では中道であり、人民主権には賛成していたので、1回目の投票ではトップに立ったが、まだ57票足りなかった。57回目の投票が行われた時点でもダグラスがトップだったが、まだ50票足りなかった。5月3日になって絶望感に襲われた代議員達は投票を中止し大会を延期することに同意した。 民主党は6月18日にボルチモアで再び集会を開いた。この時は、新領土での奴隷制を支持する決議案が採択されなかった時に、110名の(「ファィアーイーター」に先導された)南部の代議員が退席した。残った代議員達で投票が何度も行われ、最終的にダグラスを大統領候補に、ジョージア州出身のハーシェル・ジョンソンを副大統領候補に指名して終わった。 南部民主党(英語版)は6月28日にバージニア州リッチモンドで集会を行い、奴隷制擁護派で当時現職の副大統領であったケンタッキー州出身のジョン・ブレッキンリッジを大統領候補に、オレゴン州出身のジョセフ・レーンを副大統領候補に指名した。
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