橘家圓蔵 (8代目)
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八代目 橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1934年〈昭和9年〉4月3日 - 2015年〈平成27年〉10月7日)は、日本の落語家。本名:大山 武雄(おおやま たけお)。生前は落語協会所属。出囃子は『虎退治』。
注釈
- ^ 年齢は談志のほうが1学年下だが、入門は圓蔵のほうが8か月ほど早かった。
- ^ 旦那衆相手に幇間よろしくヨイショで稼ぎまくっていた。[要出典]
- ^ 作家としては、まだ短編を時折発表する程度だった。
- ^ 圓蔵が前座時代、師匠に命じられ、大師匠の8代目桂文楽宅に住み込み内弟子修行に出された際、そこで女中をしていた。2010年6月、82歳で逝去した。
- ^ この襲名劇に際しては、7代目圓蔵が一代限りの約束で名跡を6代目三遊亭圓生から借りていたという事情があったため、当時5代目月の家圓鏡を名乗っていた8代目圓蔵が7代目の没後に6代目圓生未亡人に名跡を一度返上した後、圓生未亡人に対して「私(5代目圓鏡)に圓蔵の名を継がせてください」と頼み込み、その了解を得て襲名を行ったという経緯があった[1][6]。
- ^ 1975年4月、近畿地区におけるネット局が朝日放送から毎日放送に変更。
- ^ 1975年4月、関東地区におけるネット局がNETテレビからTBSテレビに変更。
出典
- ^ a b c d “〈レクイエム2015〉 5人の「若手四天王」落語家・橘家圓蔵さん”. 毎日新聞. 毎日新聞社. (2015年12月9日) 2017年2月11日閲覧。
- ^ “黒メガネで高座に上がった橘家円蔵は、身体で芸を披露した | 文春写真館”. 本の話. 文藝春秋. (2015年12月21日) 2024年5月31日閲覧。
- ^ “橘家円蔵さん 写真特集”. 時事ドットコム. 時事通信社 2024年5月31日閲覧。
- ^ “橘家円蔵さん死去 眼鏡で高座に上がった初の落語家”. 日刊スポーツ. (2015年10月17日) 2024年6月1日閲覧。
- ^ “【訃報】落語家・圓蔵さん 夫人ネタが大人気”. テレビ朝日 (2015年10月16日). 2024年6月1日閲覧。
- ^ 『月の家円鏡 八代目円蔵を襲名 師匠のあと継いで「面白さで大成目ざします」』毎日新聞 1982年6月28日東京本社版夕刊9面
- ^ 三遊亭円丈著『落語家の通信簿』(2013年、祥伝社新書) ISBN 978-4396113377
- ^ “橘家圓蔵さん死去 81歳 黒縁眼鏡となぞかけで人気”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2015年10月16日) 2017年2月11日閲覧。
- ^ Kazuhiko Kuze「橘家圓蔵さん死去 「ヨイショ」や焼肉のタレのCMなど、お茶の間で人気」『ハフポストNEWS』、2015年10月16日。2024年5月9日閲覧。
- ^ “橘家円蔵さん自宅を記念館として整備、15日から一般公開”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年7月14日) 2017年7月14日閲覧。
- 1 橘家圓蔵 (8代目)とは
- 2 橘家圓蔵 (8代目)の概要
- 3 来歴・人物
- 4 芸歴
- 5 一門弟子
- 6 著書
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