杜審言とは? わかりやすく解説

杜審言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 03:33 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
杜審言

杜 審言(と しんげん、645年貞観19年) - 708年景龍2年))は、中国唐代詩人は必簡。襄州襄陽県(現在の湖北省襄陽市襄州区)の人。本貫京兆郡杜陵県西晋杜預の子の杜耽の末裔にあたる。曾祖父は杜叔毗。祖父は杜魚石。父は杜依芸。従兄は杜易簡。子は杜閑・杜並・杜専・杜登。孫は杜甫ら。

略歴

670年咸亨元年)進士となり、隰城県尉となった。自らの才能を恃むところ頗(すこぶ)る強く、大胆な放言をしては周囲から憎悪されていた。また、杜審言は立場が上の人間に対する態度は弱く、武則天に召し出された時には、必要以上に媚び諂って感謝するという有様であった。しかし、詩を絶賛されたり、李嶠・崔融・蘇味道らと共に「文章四友」と呼ばれるなど、その才能は認められていた。

705年神龍元年)頃、武則天の寵臣の張易之らと親しくしていたために左遷され、峰州(現在のベトナムフート省)に流された。その後、都に戻って国子館主簿・修文館直学士になり、病死した。死に際しても見舞いに来た友人の宋之問らに「わたしの才能が今まで君達を押さえ込んできたが、これからわたくしが死ぬからにはさぞ喜ばしかろう」などと言い放ったという。

詩風

詩は五言律詩を得意とする。『杜審言集』が明代に編纂された。

出典





杜審言と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「杜審言」の関連用語


2
18% |||||

3
12% |||||

4
12% |||||

5
10% |||||

6
10% |||||


8
8% |||||



杜審言のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



杜審言のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの杜審言 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS