李珥
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李 珥(り・じ、イ・イ、1536年 - 1584年)は、李氏朝鮮の儒学者。号は栗谷(りっこく、ユㇽゴㇰ)、字は叔献(しゅくけん、スッコン)。本貫は徳水李氏[1]。朱子学者として李滉(退渓)とならぶ二大儒と称される。李滉の主理説に対し主気説を展開した。朝鮮王朝に仕えていたが、政争や貧困が蔓延して国防が疎かになっている国内の様相を憂いていた事でも知られている[2]。
- ^ “스카이데일리, 화폐 속 이순신·율곡·신사임당 속한 위인 가문”. www.skyedaily.com (2017年4月6日). 2022年11月14日閲覧。
- ^ a b c 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版. “【寄稿】1581年の李珥が2019年の韓国へ”. www.chosunonline.com. 2019年6月16日閲覧。
- ^ 朝鮮人物事典118頁外側の段落
- ^ 簡江作『韓國歷史與現代韓國』台湾商務印書館、2005年8月1日、3頁。ISBN 9789570519891 。
- ^ 北山祥子『日本人の檀君硏究』한일관계사학회〈한일관계사연구〉、2021年、103-105頁 。
- ^ 朝鮮人物事典118頁内側の段落
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