本所松坂町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 04:36 UTC 版)
元禄赤穂事件から1年弱経った元禄16年(1703年)の元禄大地震とそれの6日後に起きた大火(水戸様火事)で吉良邸があった周辺は壊滅状態になり、その復興のときに吉良邸跡の4割ほどのところに御鏡師の中島伊勢(川村時太郎のちの葛飾北斎の養父)・御研師の佐柄木弥太郎の拝領町屋と芝田町代地ができ、残りは使用目的が決まっていない割残地であった。宝永2年~4年(1705年~1707年)にかけて中島・佐柄木両名の拝領町屋は本所松坂町一丁目拝領町屋に、芝田町代地が本所松坂町二丁目年貢町屋となった。この時に「本所松坂町」の町名ができたのである。 またこの頃、吉良邸跡の割残地だったところが芝新堀常浚拝領地となっており、吉良邸跡すべてが本所松坂町となった年代は不詳であるが、宝暦12年(1762年)の時点ではそれが確認されている。なお、吉良邸跡だけでなく、その近所の回向院東の道沿いなどに本所松坂町一丁目の町屋があった。
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