木崎義二
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 06:20 UTC 版)
きざき よしじ 木崎義二 | |
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国籍 | 日本 |
職業 | 音楽評論家、編集者 |
著名な実績 | 「ティーンビート」 「POP-SICLE」 |
影響を受けたもの | エルビス・プレスリー[1] |
木崎 義二(きざき よしじ)は日本の音楽評論家。編集長として1960年代に洋楽雑誌「ティーンビート」、1970年代にオールディーズ専門誌「POP-SICLE」を創刊した。ベンチャーズやビートルズなどの日本盤の解説も担当した。
略歴
- 1962年、George Hudson and His Orchestraの『Do the Limbo』で初めてライナー・ノーツを担当する[2]。
- 1965年、「ティーンビート」を創刊する。
- 1966年、ビートルズ日本公演のパンフレットに寄稿する[1]。
- 1976年、「POP-SICLE」を創刊する。
エピソード
ラジオ関西の電リク番組のDJ時代にフォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』をパシフィック音楽出版の朝妻一郎と高崎一郎に紹介し、全国ヒットのきっかけを作った[3][4]。
出演番組
テレビ
ラジオ
著書
共編著
監修
- カウント・フォー「Best Hits A Go Go」1966年 アルバム
脚注
- ^ a b 木崎義二さん 2008年06月28日ドコモ団塊倶楽部公式ブログ
- ^ NHK-FM『ミュージック・プラザ・スペシャル』2012年4月5日
- ^ トップインタビュー:朝妻一郎 (株)フジパシフィック音楽出版代表取締役会長文化通信 2008年11月28日
- ^ フォーク・クルセダース「帰って来たヨッパライ」原盤権獲得秘話…1967年、48年前の本日リリース大人のミュージックカレンダー 2015年12月25日
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