早川正紀
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早川 正紀(はやかわ まさとし、1739年(元文4年) - 1808年12月26日(文化5年11月10日))は江戸時代の旗本。通称は八郎左衛門。名前については「まさのり」「まさつな」と読む説もある。名代官と評される人物の一人であり、真庭市久世の人たちからは「早川代官」と呼ばれている。妻は、三宅源兵衛直榮の娘。
- ^ a b c d 永山卯三郎『早川代官』巌南堂書店。
- ^ 福島毅『早川代官と福島彦助』出版サービスセンター、57頁。
- ^ 福島毅『早川代官と福島彦助』出版サービスセンター、6頁。
- ^ 久世町『いなか代官奮戦記』ミリオン書房、40.41.89頁。
- ^ 福島毅『早川代官と福島彦助』出版サービスセンター、55頁。
- ^ 久世町『いなか代官奮戦記』ミリオン書房、89頁。
- ^ 久世町『いなか代官奮戦記』ミリオン書房、82頁。
- ^ a b c d e “第53回 江戸時代の名代官早川八郎左衛門(はやかわはちろうざえもんまさとし)”. 久喜市. 2019年8月4日閲覧。
- ^ 『久世町史』久世町、261頁。
- ^ 『久世町史』久世町、264頁。
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.56
- ^ a b c “教諭所”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2019年8月14日閲覧。
- ^ 『久世町史』久世町、1129頁。
- ^ a b 『久世町史』久世町、1135頁。
- ^ 久世町『いなか代官奮戦記』ミリオン書房、72頁。
- ^ a b c d “敬業館の跡”. 笠岡市. 2019年8月4日閲覧。
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