旧西川家住宅(滋賀県近江八幡市新町)
名称: | 旧西川家住宅(滋賀県近江八幡市新町) |
ふりがな: | きゅうにしかわけじゅうたく |
名称(棟): | 主屋 |
名称(ふりがな): | おもや |
番号: | 2144 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1983.01.07(昭和58.01.07) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 滋賀県 |
都道府県: | 滋賀県近江八幡市新町2-19 |
所有者名: | 近江八幡市 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 居室部 桁行12.9m、梁間17.6m、一部二階、切妻造、桟瓦葺、 東面及び南面庇付、こけら葺 座敷部 桁行4.8m、梁間9.8m、切妻造、北面居室部に接続、桟瓦葺 |
時代区分: | 江戸中期 |
年代: | 宝永3(1706) |
解説文: | 西川家は豊臣秀次の近江八幡城下町建設時から住みついたと伝える近江商人で、畳表、蚊帳などを広く扱った商家である。 この住宅は広い通り土間に面して四室が並ぶ大型住居で、居室部は二列になり、さらに座敷部が突出する。 裏に建つ土蔵は三階蔵である。 この住宅は滋賀県下の町家として古い方に属し、発達した間取りながら全体に質素であり、近江商人の本宅を知る重要な遺構である。 |
旧西川家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/22 02:54 UTC 版)
旧西川家住宅 | |
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所在地 | 滋賀県近江八幡市新町2-22 |
位置 | 北緯35度8分17.83秒 東経136度5分20.34秒 / 北緯35.1382861度 東経136.0889833度座標: 北緯35度8分17.83秒 東経136度5分20.34秒 / 北緯35.1382861度 東経136.0889833度 |
類型 | 商家 |
形式・構造 | 木造、瓦葺 |
建築年 | 宝永3年(1706年) |
文化財 | 国の重要文化財 |
旧西川家住宅(きゅうにしかわけじゅうたく)は、滋賀県近江八幡市にある古民家。江戸時代から明治時代前半にかけて活躍した近江商人西川利右衛門の屋敷で、国の重要文化財に指定されている。
昭和5年(1930年)に子孫が途絶えてからは土地と建物は市に寄贈され、郷土資料館・歴史民俗資料館・旧伴家住宅と併せて一般公開されている。また、建物は新町通りに面しており、八幡伝統的建造物群保存地区に含まれている。
歴史
西川利右衛門は屋号を大文字屋と称し、江戸・京都・大阪に店舗を構え、蚊帳・畳表などの商いで財を成した。西川家は初代から11代まで約300年にわたり活躍したが、昭和5年に子孫が途絶え、土地と建物は市に寄贈された。現在の建物(主家)は3代目によって宝永3年(1706年)に建てられたもので、昭和58年(1983年)1月7日に国の重要文化財に指定され、昭和60年(1985年)10月より33か月の工期を経て改修された。
主屋は切妻造、瓦葺、一部2階建。南北に通る新町通りの西側に建つ。建物の下手(北側)は「店土間」「玄関土間」「台所土間」と続く通り土間とし、店土間の南と北の新町通りに面する側に板の間の「店」を設ける。「玄関土間」「台所土間」の南側には2列に居室を設け、さらに南側には庭園に面した座敷部を突出させる。全体に質素な意匠であるが、建築材料には良材を選んでいる。庭に建つ土蔵は、近世のものとしては珍しい3階建てである。[1]
2014年8月、台風11号の影響で土蔵の漆喰壁が剥がれ落ちた[2]。
文化財
- 重要文化財
- 主屋(附:家相図1枚、箱入祈祷具1具)
- 土蔵(附:板札1枚、鬼瓦1個)
利用情報
- 開館時間 - 9時から16時30分(入館は16時まで)
- 休館日 - 月曜、祝日の翌日(月曜が祝日の場合は開館)
- 料金 - 大人500円、小中学生300円(歴史民俗資料館・市立資料館・旧伴家住宅4館共通)
- 駐車場 - 普通車5台
所在地
〒523-0871 滋賀県近江八幡市新町2-22
交通アクセス
脚注
関連項目
外部リンク
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