日本へ至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 14:04 UTC 版)
「ハプログループD1a2a (Y染色体)」の記事における「日本へ至るまで」の解説
現生人類の誕生後、Y染色体アダムからハプログループAやハプログループBの系統と、いわゆるユーラシアン・アダムの子孫たちを含むグループとに人類は分化していった。後者の中から一塩基多型の変異(いわゆるYAPと言われる痕跡)が、約6.5万年前頃にアフリカ大陸の北東部(現在のスーダンからエチオピア高原の辺り)において生じた。これがハプログループDとハプログループEの親グループである、ハプログループDEである。さらにその子系統であるハプログループDは、アフリカにおいて既に発生していたと考えられる。ハプログループDの子系統のうち、ハプログループD2はアフリカに留まり、ハプログループD1が出アフリカを果たした。(一方で、ハプログループDEはアジアで発祥したという異説もある。) ハプログループD1は、ハプログループCFとともに、現在アフリカの角と呼ばれる地域から、現生人類としては初めて紅海を渡ってアフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至った。さらにイラン付近からアルタイ山脈付近に北上したと推定される。 ハプログループD1のうち、東進して日本列島に至り誕生したのがハプログループD1a2aであり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループから誕生した系統がチベット人に高頻度のハプログループD1a1である。アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーは「縄文人の祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1a2aが誕生した」とする説を唱えた。崎谷満はハプログループD1a2が華北を経由し九州北部に到達し、日本列島でD1a2aが誕生したとしている。
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