庶民からの評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:58 UTC 版)
後醍醐の政治は、武家や公家のみではなく、都市民や地方民にも批判された。都市民の批判として有名なものは「二条河原の落書」である。この落書の内容は、「御代に生てさまさまの、事をみきくそ不思議共、京童の口すさみ、十分一そもらすなり」という言葉で結ばれているように、当時の都市民の共通認識であった。 地方民の批判として有名なものは、建武元年(1334年)夏に若狭国の太良荘の農民が訴えた申状である。これは直接には荘園領主の当時に対して年貢が重くなったことを訴えたものであるが、この時期に年貢が重くなったのは、後醍醐が大内裏の造営等のために諸国に収入の20分の1を徴収する税をかけたことと関係しており、地方の人にとっても建武政権が期待外れであったことを示している。
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