広澤 克実
芸名 | 広澤 克実 |
芸名フリガナ | ひろさわ かつみ |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1962/4/10 |
星座 | おひつじ座 |
干支 | 寅年 |
出身地 | 茨城県 |
身長 | 185 cm |
体重 | 99 kg |
URL | http://j-sm.jp/katsumi-hirosawa/ |
ブログURL | http://ameblo.jp/hirosawa-katsumi/ |
プロフィール | 和製スラッガーの代表格。ロス五輪金メダル。1984年、ドラフト1位で明大~ヤクルトに入団。1994年巨人に、2000年阪神に移籍。プロ野球史上、巨人・阪神の両球団で4番を勤めた唯一の選手となる。引退後は解説者として活躍。野村、長嶋、星野とタイプの違う指揮官の下での経験から独自のマネージメント論を持つ。 |
代表作品1 | ラジオ『広澤克実とDr.イトーのレーザー交遊録!』 |
代表作品2 | テレビコメンテーター『亀ちゃんのタイガースに檄!』 |
職種 | スポーツ |
好きなスポーツ | 柔道/野球 |
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広澤克実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 03:36 UTC 版)
広澤 克実(ひろさわ かつみ、1962年4月10日 - )は、茨城県下妻市生まれ、同結城市出身[1]の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、指導者、野球解説者。 登録名は、1995年までは「広沢 克己」、1996年から1998年までは「広沢克」、1999年以降は「広澤 克実」(全て読み同じ)。愛称は「トラ」など。
注釈
- ^ この時にアメリカ代表チームだったシェーン・マックとは、後に巨人でチームメイトとなっている。
- ^ 後年の文献では永久欠番と記述しているものが見受けられるが(ベースボール・マガジン社『週刊プロ野球データファイル』等)、引退表明を1面で大きく扱ったサンケイスポーツ(東京版・1983年11月10日付)では、「球団は「背番号8」を保留欠番とし、来春3月下旬に引退試合を行うことを決めた。」とあり、明らかに誤りである。
- ^ その次の打者の沖原佳典が三振に倒れ、ダイエーに日本一を決められてしまった。
- ^ 2005年と2014年にも阪神は日本シリーズに出場しているが、阪神の選手は1人も本塁打を放った選手がおらず、生え抜きに限定すると同じ第7戦の関本賢太郎である。2023年も第5戦までホームランが出ず、第6戦でシェルドン・ノイジーがホームランを放つまで日本シリーズ14試合連続ノーアーチのシリーズ記録を更新していた。
- ^ 本塁打・単打・三塁打・二塁打の順。この年は三塁打を1本しか打っていない。
- ^ 一部BS-TBSでも放送。
出典
- ^ a b “結城紬大使”. 結城市. 2015年4月21日閲覧。
- ^ a b “大学からプロへと神宮に見事なアーチを描き続け、 引退後もファンに愛される好漢スラッガー・広沢克己”. Baseball Crix. 2018年5月1日閲覧。
- ^ “広澤克実 プロフィール”. 週刊ベースボールONLINE. 2018年5月1日閲覧。
- ^ “中学時代は柔道部 巨人、阪神で四番打者務めた唯一の長距離砲とは | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2020年9月26日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “広澤克実(ひろさわかつみ)”. 講演会の講師依頼・紹介なら講演会なび. 2023年10月4日閲覧。
- ^ “出演者情報 | GAORAプロ野球中継(タイガース) | 野球”. GAORA. 2012年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。
- ^ “アニキ”金本知憲も驚愕した 球界の飛ばし屋とは?【ザ・伝説の野球人大全集】 フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】 2021/11/09 (2021年8月30日閲覧)
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ https://www.youtube.com/watch?v=oWnHTYJ3-Ds
- ^ “広澤克実が語るロス五輪金メダルの真実「チームワークなんてなかった」”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2020年1月26日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “過去のドラフト 第20回(1984年) - ドラフト会議”. 日刊スポーツ. 2023年10月4日閲覧。
- ^ “【11月19日】1984年(昭59) 竹田光訓は巨人?、広沢克己は西武?…希望通りにならなかった”. スポニチ Sponichi Annex (2018年11月17日). 2019年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。
- ^ “プロ野球選手が陥る税金の罠 広澤克実氏は契約金消えた”. NEWSポストセブン (2016年11月16日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “広澤克実が語る「忘れられない2試合」 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2016年5月16日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ あいつはナメてた💢【赤鬼❗️ボブ・ホーナー】チームメイト・広澤が見た仰天行動❗️八重樫「耳の上の…」&池山「野球の話は…」ヤクルト独特交流エピソード【第4話】 ミスターパーフェクト槙原 2022/07/07 (2024年1月31日閲覧)
- ^ 【セ・パ誕生70年記念特別企画】よみがえる1980年代のプロ野球 Part.2 [1986年編] (週刊ベースボール別冊冬桜号)ベースボール・マガジン社、2019年、92頁
- ^ “広沢克己 若きヤクルト大砲の“三振理論”?/プロ野球1980年代の名選手 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2019年4月29日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “池山、広沢氏ら感謝の念 ヤクルト時代の教え子―関根潤三さん死去”. 時事ドットコム (2020年4月9日). 2020年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。
- ^ a b “西武と戦って広澤克実が得た自信。「巨人も広島もたいしたことない」”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2018年9月25日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “杉浦享が引退撤回でもう1年と決意。きっかけとなった広澤克実のあのプレー”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2019年5月1日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “常勝西武vs野村ID「1993年ヤクルト日本一」を語ろう あの奇襲はすごかった!(週刊現代) @gendai_biz”. 現代ビジネス (2015年11月3日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “「そんなものに負けてたまるか」西武の石毛宏典はID野球に反発した”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2018年9月20日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “FAは失敗が9割 行使後にキャリアハイ達成は86分の7”. NEWSポストセブン (2018年11月26日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “【巨人】陽岱鋼と5年15億円超で合意 広沢、清原、片岡と並ぶFA移籍史上最長タイ!”. スポーツ報知 (2016年12月15日). 2016年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。
- ^ “野村克也×江本孟紀「2018プロ野球開幕“ど真ん中大放談”」(4)村田は高知に来てくれれば…”. アサ芸プラス (2018年4月1日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “プロ野球失敗学 巨人のFA移籍に特有な困難とは”. NEWSポストセブン (2018年11月28日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “広澤克実氏、野村克也氏の「巨人に行くな」に従っていれば…”. NEWSポストセブン (2019年12月29日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ 朝日新聞1996年11月29日29面
- ^ “5年25億円契約「丸佳浩」に“2つの不安”、かつて巨人にFA移籍した広澤克実氏が指摘(2ページ目)”. デイリー新潮 (2018年12月24日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ 2014年3月29日スポーツニッポン11版「広澤克実の我が道29」より
- ^ “【プロ野球仰天伝説118】お立ち台で宣言どおり『六甲おろし』を歌った広澤克実【爆笑&小ネタスペシャル】”. 週刊ベースボールONLINE (2018年4月20日). 2018年5月1日閲覧。
- ^ “【2月19日】2000年(平12) 広沢、新天地で復活誓う右翼への連続アーチ”. スポニチ Sponichi Annex (2011年2月19日). 2019年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。
- ^ “広沢氏「子供たちに夢を」=カンボジアコーチ就任を発表-野球”. 時事通信. (2011年11月28日)[リンク切れ]
- ^ “広澤克実氏がカンボジア代表コーチ就任「五輪で野球復活を」”. スポーツニッポン. (2011年11月29日) 2013年8月23日閲覧。
- ^ “元ヤクルト・広澤克実氏、メニエール病との戦いを告白「一生付き合っていく」”. ライブドアニュース (2015年1月17日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ “爆報!THE フライデー 2015/01/16(金)19:00 の放送内容 ページ1”. TVでた蔵. 2023年10月4日閲覧。
- ^ “広澤克実”. 株式会社ビッグベン. 2023年10月4日閲覧。
- ^ “広澤 克実”. ジャパン・スポーツ・マーケティング. 2023年10月4日閲覧。
- ^ “野球選手のサングラスの効果は? 広澤克実氏、プロ選手に取材「打つ時だけしないと周りがまぶしい」”. AbemaTIMES (2019年5月27日). 2019年6月1日閲覧。
- ^ “[中学硬式野球]広澤克実理事長に聞く ポニーリーグの機会均等の育成方針”. BBMスポーツ (2018年11月27日). 2021年9月3日閲覧。
- ^ 月刊タイガース 2000年5月号 45p
広澤克実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 23:40 UTC 版)
「マツイ日記は知っている!」の記事における「広澤克実」の解説
松井との「男と男のぬくもりアーチ」を認めた人。彼が登録名を変えたときに松井も登録名を変えた(しかし、松井自身が誰のことだかわからなくなってしまった)。
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