しつい〔シツヰ〕【室×韋/失×韋】
室韋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 16:18 UTC 版)
室韋(しつい、拼音: )は、6世紀から10世紀まで中国東北部のチチハル周辺にある嫩江・アルグン川・黒竜江流域に存在していた民族。初めは失韋国と書かれた[1]。また、モンゴル系民族の源流と考えられており、『オルホン碑文』にある三十姓タタル(オトゥズ・タタル、𐰆𐱃𐰕𐱃𐱃𐰺、Otuz Tatar[2])にも比定されている。
- ^ 『魏書』列伝第八十八
- ^ 右から左へ読む。
- ^ 『隋書』列伝第四十九 北狄「又西北数千里,至大室韋,徑路険阻,言語不通。」,『北史』列伝第八十二「又西北数千里,至大室韋,徑路険阻,言語不通。」
- ^ 『旧唐書』列伝第一百四十九下 北狄「次東又有塞曷支部落,此部落有良馬,人戸亦多」
- ^ 『新唐書』列伝第一百四十四 北狄「稍東有塞曷支部,最彊部也」
- ^ 『旧唐書』列伝第一百四十九下 北狄「烏羅護之東北二百餘里,那河之北有古烏丸之遺人,今亦自稱烏丸国。」
- ^ 『新唐書』列伝第一百四十四 北狄「其北有東室韋,蓋烏丸東南鄙餘人也。」
- ^ 匈奴と交雑した鮮卑で、段部や慕容部と言語が異なる。
- ^ 隋書北狄伝奚条「奚本曰庫莫奚,東部胡之種也。」契丹室韋条「契丹之先,与庫莫奚異種而同類。室韋,契丹之類也。其南者為契丹,在北者号室韋。」、北史東夷伝奚条「奚,本曰庫莫奚,其先東部胡宇文之別種也。」契丹条「契丹国,在庫莫奚東,与庫莫奚異種同類。」室韋条「蓋契丹之類,其南者為契丹,在北者号為失韋。」
- ^ 『新唐書』列伝「室韋,契丹別種,東胡之北辺,蓋丁零苗裔也。」
- ^ 『隋書』列伝第四十九 北狄「室韋,契丹之類也。」,『北史』列伝第八十二「蓋契丹之類」,『旧唐書』列伝第一百四十九下 北狄「室韋者,契丹之別類也。」,『新唐書』列伝第一百四十四 北狄「室韋,契丹別種,東胡之北辺,蓋丁零苗裔也。」
- ^ 『新唐書』列伝第一百四十四 北狄「契丹,本東胡種,其先為匈奴所破,保鮮卑山。」
- ^ 『新五代史』四夷附録第一「故又以為鮮卑之遺種。」
- ^ 『旧五代史』外国列伝一 契丹「契丹者,古匈奴之種也。」
- ^ 漢代に活躍した烏桓と同族と思われるが、これは烏桓が南下した時に、南下せず残った者たちの後裔と思われる。
- ^ 『新唐書』列伝第一百四十四
- ^ 『遼史』本紀第一
- ^ 『遼史』本紀第一
- ^ 『遼史』本紀第四
- ^ 『金史』列伝第九、列伝第五十九
- ^ 宮脇 2002,p40
- ^ 『新五代史』巻七十四 四夷付録第三「達靼 ,靺鞨之遺種,本在奚、契丹之東北,後為契丹所攻,而部族分散,或屬契丹,或屬渤海,別部散居陰山者,自號 達靼 。」
- ^ 宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』p41
- ^ 『遼史』本紀第二十四 道宗四
- ^ 『魏書』列伝第八十八、『北史』列伝第八十二
- ^ 『隋書』列伝第四十九 北狄「婦人不再嫁,以為死人之妻難以共居。」,『新唐書』列伝第一百四十四 北狄「夫死,不再嫁。」
- ^ 『魏書』列伝第八十八「父母死,男女衆哭三年,屍則置於林樹之上。」,『隋書』列伝第四十九 北狄「部落共為大棚,人死則置屍其上。居喪三年,年唯四哭。」,『北史』列伝第八十二「部落共為大棚,人死則置屍其上。居喪三年,年唯四哭。」,『新唐書』列伝第一百四十四 北狄「毎部共構大棚,死者置屍其上,喪期三年。」
室韋(三十姓タタル)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:10 UTC 版)
「モンゴル系民族」の記事における「室韋(三十姓タタル)」の解説
室韋・契丹とも中国史書には東胡の子孫であるとか、鮮卑の子孫であると記述されており、室韋の一部族蒙兀室韋(蒙瓦部)がのちのモンゴルであることから、これらの民族系統はモンゴル系と推測される。しかし、大室韋などは「言葉が通じない」とあることから、すべてがモンゴル系というわけではないといえる。
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