大字江古田
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1889年(明治22年)4月、町村制施行とともに江古田村は近隣の6村と合併して野方村となり、江古田はその大字になった(東多摩郡野方村大字江古田)。1896年(明治29年)4月、東多摩郡と南豊島郡が合併して豊多摩郡になると、その管轄に属した。大字江古田の下の小字としては、東和田、東本村、下の原、上の原、北の原、西の原、寺山、本多、徳殿、籠原、籠原窪、北原があった。 1897年(明治30年)ごろ、天然氷製造所を設立された。当時、江古田の低地は水田や水路が多く冬は非常に寒かった。特に片山(現・松が丘)北側斜面の低地は寒さが厳しく、冬に厚い氷が張った。現在の江古田公園のあるあたりに四方レンガ積みの場所をつくり、冬に妙正寺川の清流を引き込んで凍らせて天然氷を製造し、夏に売り出した。天然氷の製造は大正の初めまで続けた。 1904年(明治37年)に開戦した日露戦争では江古田からも兵士が出征した。戦病死した4人のために氷川神社に忠魂碑を建立した。この間、江古田の和田山に哲学堂が創始された。哲学館(現・東洋大学)学長の井上円了が1903年(明治36年)に和田山を哲学館の敷地として譲り受け、翌年4月に哲学堂(現・四賢堂)の開堂式を挙げた。井上円了は哲学館学長を辞めた後、和田山に各種の建物を建てることに尽力した。現在の哲学堂公園である。 1913年(大正2年)、東本村に古くからあった御嶽社と第六天社を氷川神社に合祀した。両社の祠は民家の庭に移して残した。
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