堅田元慶
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堅田 元慶(かただ もとよし、永禄11年〈1568年〉- 元和8年〈1622年〉)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏、小早川氏の家臣。
注釈
- ^ 口宣案の上卿は大納言・烏丸光宣、奉者は蔵人右少弁・中御門宣泰。叙任時の名義は「豊臣元慶」で、同日には口羽春良も叙任されている。
- ^ 元慶の他には小早川隆景と吉川広家が冠と黒装束を、穂田元清、福原元俊、口羽春良、渡辺長、三浦元忠、林就長が元慶と同様に冠と赤装束を、粟屋元種と国司元蔵が折烏帽子と風折狩衣を、その他の供衆は烏帽子と直垂をそれぞれ着用し、輝元の供として従った。
- ^ 元慶の罪を問おうと考えていた徳川家康に対して本多正信は、元慶は主君である輝元の命を受けて行動しただけであって、家臣としては主命に従わざるを得なかったと執り成している。
- ^ 慶長15年(1610年)8月30日の知行方目録では6268石4升7合。内訳は周防国熊毛郡で709石3斗3升、周防国佐波郡で605石1斗7升5合、長門国大津郡で4953石5斗4升2合。
- ^ 元和5年(1619年)3月13日の宛行領地目録では6536石5升6合。内訳は、周防国熊毛郡では伊保木368石7斗6合、室積の内の岩屋105石7斗6升1合、別府562石5斗3升、大野村212石1斗9升6合、吉井村市の塩田・笠野283石8斗6升1合、小郡228石4斗6升6合、麻郷村1413石6斗7合、光井村968石9斗4升、室積浦役1584石9斗8升2合、島田村皆瀬山役1石5斗、普賢寺領22石2合。周防国佐波郡では伊佐江・塩浜562石2斗7升9合、大塚村41石8斗9升4合。長門国阿武郡では篠目・細野179石3斗3升2合。
出典
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