土生玄碩とは? わかりやすく解説

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はぶ‐げんせき【土生玄碩】

読み方:はぶげんせき

[1762〜1848]江戸後期眼科医安芸(あき)の人。名は義寿。シーボルト散瞳薬学び代償として将軍家斉より拝領紋服贈り禁錮処された。


土生玄碩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 06:06 UTC 版)

土生 玄碩(はぶ げんせき、宝暦12年(1762年) - 嘉永元年8月17日1848年9月14日))は、江戸時代後期の眼科医。国禁を侵して開瞳術を施した西洋眼科の始祖[1]。名を義寿、幼名は久馬、はじめ玄道と称し、のち玄碩、号は桑翁、字は九如。




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