はぶ‐げんせき【土生玄碩】
土生玄碩
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土生 玄碩(はぶ げんせき、宝暦12年(1762年) - 嘉永元年8月17日(1848年9月14日))は、江戸時代後期の眼科医。国禁を侵して開瞳術を施した西洋眼科の始祖[1]。名を義寿、幼名は久馬、はじめ玄道と称し、のち玄碩、号は桑翁、字は九如。
- ^ 『医界風土記 中国・四国篇』 日本医師会編 酒井シヅ監修 思文閣出版 1994年、111頁
- ^ a b c d 吉村昭『日本医家伝』 講談社 1971年、81-106頁
- ^ a b c 青柳精一『診療報酬の歴史』 思文閣出版 1996年、152-153頁
- ^ 長崎大学薬学部 長崎薬学史の研究~第一章 近代薬学の到来期
- ^ 都立薬用植物園の妖精達 ハシリドコロ
- ^ 男の花道 | Movie Walker
- ^ WATCH FOR! 松竹名作劇場全国公演「男の花道」製作発表
- ^ 中村京蔵公式ホームページ
- ^ 明治座 | 2005年12月公演「第一部 男の花道 第二部 誠版レビュー 華・艶・舞
- ^ 『滝沢演舞城』商品の説明 内容紹介 - Amazon.co.jp
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