吉田正春
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吉田 正春(よしだ まさはる、1852年6月6日(嘉永5年4月19日) - 1921年(大正10年)1月18日[1])は、日本の外交官。吉田東洋の嫡男。通称は源太郎。号は静海、暦園。日本人として初めてイラン(当時はペルシア)を訪れた「吉田正春使節団」団長[2]。
- ^ 谷中霊園の「吉田正春」の墓碑参照。
- ^ 吉田正春谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
- ^ 鈴木(1989)pp.305
- ^ 官報 1886年6月29日 二九四頁
- ^ 非職外務書記官吉田正春免官ノ件
- ^ 逓信省監察官吉田正春波斯国獅子太陽第二等勲章及土耳其国美治恵第三等勲章受領及佩用願ノ件
- ^ 明治の日本とイラン : 吉田正春使節団(1880)について岡﨑正孝, 大阪外国語大学学報. 70(3) 1985-11-30
- ^ 明治期先覚者吉田正春とその事績--「考古学」および「西アジア」の視点より大津忠彦、筑紫女学園大学・短期大学部人間文化研究所年報(18), 157-169, 2007-08、筑紫女学園大学・短期大学部人間文化研究所
- ^ 外交史料館特別展示「日本とペルシャ・イラン」I 明治政府とペルシャ 吉田使節団派遣外務省、平成27年5月18日
- ^ もう、行くしかない!明治初の本格的な軍艦「比叡」のペルシャ湾航海大井 昌靖、和楽web、小学館、2021.09.15
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