分国論
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分国論(ぶんこくろん)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の歴史学者金錫亨が1960年代に発表した「三韓三国の日本列島内の分国について」という論文で提起した学説の通称。強烈な民族意識に支えられた朝鮮民族中心の歴史観。
注釈
- ^ 穴沢(1990)p.79
- ^ 山尾幸久『古代の日朝関係』塙書房〈塙選書93〉、1989年8月24日、58頁。ISBN 482733093X。
- ^ 浜田耕策 (2005年6月). “共同研究を終えて 濱田耕策” (PDF). 日韓歴史共同研究報告書(第1期) (日韓歴史共同研究): p. 374-375. オリジナルの2020年7月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ 穴沢咊光は、江上波夫の騎馬民族征服王朝説が、分国論をはじめとする韓国・北朝鮮における民族主義的な古代史観と整合するため、この両国ではたいへん歓迎され、きわめて高く評価されていると指摘している。穴沢(1990)p.79
- 1 分国論とは
- 2 分国論の概要
分国論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 10:23 UTC 版)
大和朝廷の影響が朝鮮半島に及んだことを否定して、「三韓三国の分国が日本列島内に存在し、日本書紀に登場する三韓三国は朝鮮半島内の本国を指すのではなく、日本列島内のそれぞれ分国の設置」「広開土王による倭国への侵攻」という分国論を提唱した。
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