写本の年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 15:51 UTC 版)
この写本はウスマーン版のクルアーンが編纂されたと考えられる年代から150年以内に作成されたものではなく、最も古い時代でも8世紀末から9世紀初頭に成立してクーフィー体で記された物であると考えられている。ムスリムの中には、ウスマーンの編纂した書物はウズベキスタンのタシュケントの図書館に収蔵されている写本と、トルコのイスタンブールにあるトプカプ写本の2つがある、もしくはウスマーン版クルアーンの原本のコピーであると主張するものもいる。写本にある赤いシミはウスマーンが殺害された際の血痕であると考えるものも少数ながらいる。クルアーン学者のマーティン・リングス(英語版)やYasin Hamid Safadiによると、この主張の欠点はこれらの文章はクーフィー体で書かれているため、8世紀後半に制作されたと推定されないことである。1972年にサナアの大モスクの屋根裏部屋から発見されたいくつかの写本の他には、紀元後8世紀最初の四半世紀以前の作と考えられるクルアーン写本の断片が見つかっていないことは問題である。ムハンマドの死と現在見つかっている最古の年代のクルアーンの間には150年間の隔絶があり、ウマイヤ朝以前にクルアーンの文章が改変されたり変更された可能性が指摘されている。
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