休館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 06:27 UTC 版)
しかし冬場に入ると利用者が落ち込み、JAさがえ西村山は1995年(平成7年)3月末で一旦終了する運営委託契約を更新しないことに決めた。駅に出店するレストラン業者と口約束で契約する、撤退する業者に口頭のやり取りで出資金を払い戻すなど、JAのずさんな運営も明らかになり、建設省が道の駅としての登録を取り消す可能性も出てきた。これに対し町は、7月以降に開館が予定されていた総合交流センター「サハトべに花」の運営を担う公社に道の駅も運営させる構想を立て、公社設立までの間は暫定的に町観光協会が運営を引き受けることで、施設の閉鎖を回避しようとした。 ところがJAと口約束で契約を交わしていたレストラン業者が「5年契約のはず」と主張し、1995年(平成7年)4月以降も施設に残留した。町が電気を止めたことから業者は自家発電機を持ち込んでアイスクリームを販売し、社員が交代で施設に泊まり込んで営業を続けた。JAは4月11日、業者に光熱費など諸費用の支払いとJA所有物の返還を求める訴訟を起こした。4月28日には町も業者に明け渡しを求める仮処分申請を行い、5月には訴訟を起こして明け渡しを求めた。訴訟で業者側は、JAとの契約通りに営業していると主張、町長も業者がJAと口頭で結んだ5年の委託契約を承認しているとして、町ともJAとも契約が成立していると主張した。山形地裁は施設の活用策が決まっておらず、町が求める明け渡しに緊急性はないとして、町の仮処分申請を却下したが、業者側が求めていた営業妨害停止の仮処分申請も同時に却下した。これには町と業者の双方が即時抗告した。業者も1996年(平成8年)に町とJAに占有権と収益権を求める訴訟を起こし、訴訟合戦となった。紛争案件となったことから、1995年4月以降建物は閉鎖状態となり、使用できるのはトイレだけとなった。 1998年(平成10年)、町は建物のうち紛争部分を除いた1階の一部と2階だけを再開させることを決め、4月から町べに花の里振興公社の運営で再開された。1999年3月、山形地裁は「契約が成立していたとは言えない」としてレストラン業者に施設の明け渡しと未払い光熱費の支払いを命じる判決を出した。判決を受け、町は4月2日と3日の両日開催される谷地ひなまつりの前に全館再開したい意向であったが、業者は判決後も退去せず、4月23日に強制執行が行われた。
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