乳岡古墳とは? わかりやすく解説

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乳岡古墳

名称: 乳岡古墳
ふりがな ちのおかこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 大阪府
市区町村 堺市石津町
管理団体
指定年月日 1974.01.23(昭和49.01.23)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S49-01-005[[乳岡]ちのおか]古墳.txt: 大阪平野南部本邦最大古墳群[[百舌鳥]もず]古墳群がある。乳岡古墳は、この古墳群のもっとも西南位置する大形前方後円墳である。墳丘前方部西南に向け、全長150メートルをはかる。後円部は径約94メートル、高さ約14メートル昭和47年発掘調査により、その墳頂ほぼ中央粘土被覆され長持形石棺からなる主体部遺存していることが確認された。長持形石棺墳丘主軸にほぼ平行して検出されており、その被覆粘土の南に接した個所から車輪石鍬形石等の破片石棺材片が散乱して発見された。あるいは長持形石棺のほかにも主体部あったか思われる
 現在、乳岡古墳は前方部のほとんどを失っているが、なお百舌鳥古墳群西南部、もっとも大阪湾寄り築造された大形前方後円墳として、重要なのである

乳岡古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 04:49 UTC 版)

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乳岡古墳
所属 百舌鳥古墳群
所在地 大阪府堺市堺区石津町2丁
位置 北緯34度33分21.1秒 東経135度27分55.6秒 / 北緯34.555861度 東経135.465444度 / 34.555861; 135.465444 (乳岡古墳)座標: 北緯34度33分21.1秒 東経135度27分55.6秒 / 北緯34.555861度 東経135.465444度 / 34.555861; 135.465444 (乳岡古墳)
形状 前方後円墳
規模 墳丘長155m 
埋葬施設 長持形石棺
出土品 碧玉製鍬形石 車輪石
築造時期 4世紀末
史跡 国の史跡(1974年指定)
地図
乳岡古墳
大阪府内の位置
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乳岡古墳(ちのおかこふん)は、大阪府堺市堺区石津町2丁に所在する前方後円墳百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、国の史跡に指定されている。

概要

百舌鳥古墳群内の最も南西部の海岸部に近い標高6m前後の地盤に位置しており[1]、前方部を南西に向けている。昭和初期に、前方部の大半が削平され失われているが、元は全長155mある大型の前方後円墳と推測されている[1]。後円部は一部改変されているが、3段に築かれ、直径94m、高さ14mの規模で残る[1]。元は周濠を有していたが、現在は埋め立てられている。後円部西部の発掘調査では約30m幅の周濠が確認されている[1]。後円部の墳丘上に、元録16年(1703年)に石津太神社神宮寺念佛寺が建立され、「お山の寺」と呼ばれていた。後述の発掘調査後、移転した。墳頂部の平坦面は広く、また石棺の位置からすると本来の墳頂部ではなく、寺の建築時の造成により削られたと考えられる。中心部付近に高まり部分があるが、後円部の最上段の名残と考えられる[1]

近世の記録『泉州志』によると、前方部の南峯の高さが4間(7.2m)、後円部の北峯の高さが7間(12.6m)と記され、また、野見宿禰、もしくは、乳朝臣の墓と記されている[1]

内部構造と築造時期

1972年(昭和47年)に内部構造の確認のため、後円部で発掘調査が行われており、墳丘には葺石(ふきいし)があり、埴輪が立てられており、後円部中央で粘土で覆われた長持形石棺が確認されている[2]。石棺の特徴としては、蓋石・底石・4辺の側石の6枚の部材で構成され[2]、平らな板石を使用した組み合わせ式である[1]。石材は、これまで硬質な和泉砂岩を用いられていると考えられていたが、板石の表面に残るノミ痕から推測すると、比較的柔らかい石製であると考えられている[1]。蓋石はカマボコ状に膨らみ[2]、蓋石の長さ86cm、幅75.3cmで、同規模の他古墳から出土した長持形石棺の大きさと比してかなり小型である[1]。そのため墳丘長155mの古墳の石棺としては不自然であるため、中心埋葬の石棺ではない、もしくは、長持形石棺の初源形態との考えも一考すべきである[1]。石棺周辺の粘土内から、碧玉製鍬形石3個体、同車輪石18個体、異型1個体などの石製の腕輪類が出土している[1]。また周濠の発掘では、鰭付(ひれつき)埴輪などの少量ではあるが埴輪が出土している[1]。確認のための小規模な調査であったので石棺の内部は調査されず埋め戻された。出土遺物、立地、形状、石棺などから4世紀末頃の築造と考えられ[1]、百舌鳥古墳群では最初期の古墳である[3]。 石棺は埋め戻されているが、車輪石などの腕輪形石製品は堺市博物館で展示されている[2]

規模

古墳の規模は次の通り[2]

  • 墳丘長:155メートル
  • 後円部直径:94メートル
  • 後円部高さ:14メートル

文化財

国の史跡

史跡:百舌鳥古墳群を構成する19古墳のうちの一つとして、史跡に指定されている。

  • 1974年(昭和49年1月23日)に、乳岡古墳として史跡に指定された[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 古墳群 2014, p. 9.
  2. ^ a b c d e 乳岡古墳”. 堺市役所 文化観光局 文化部 文化財課. 2021年11月13日閲覧。
  3. ^ 乳岡古墳”. 堺市文化観光局博物館学芸課. 2021年11月14日閲覧。
  4. ^ 百舌鳥古墳群/国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2021年11月13日閲覧。
  5. ^ 百舌鳥古墳群/史跡名勝天然記念物/国指定文化財等データーベース”. 文化庁. 2021年11月18日閲覧。
  6. ^ 御廟山古墳内濠”. 堺市役所 文化観光局 文化部 文化財課. 2021年11月20日閲覧。
  7. ^ ニサンザイ古墳内濠”. 堺市役所 文化観光局 文化部 文化財課. 2021年11月20日閲覧。

参考文献

  • 『日本古墳大辞典』 株式会社東京堂出版 1989年
  • 『図説日本の史跡 第2巻 原始2』、同朋舎、1991、p.247
  • 堺市文化観光局文化部文化財課 編集 『百舌鳥古墳群 -堺の文化財- 第7版』堺市文化観光局文化部文化財課、2014年。 

外部リンク

  • 乳岡古墳堺市文化観光局博物館学芸課
  • 乳岡古墳(公社)堺観光コンベンション協会
  • 乳の丘堺市市立図書館 - 後円部墳丘上にある念佛寺の画像が掲載されている。


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