中村一氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 14:18 UTC 版)
中村 一氏(なかむら かずうじ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣政権の三中老の一人。
- ^ 同年2月、秀吉は賤ヶ岳の戦いに出陣中であったが和泉の地侍を大坂城に集め、尾藤知宣・戸田勝隆を使者として送り紀伊の動向を説明させ、岸和田城に中村一氏を配置することに同意させた(『大阪府史』p.37)。
- ^ 和泉の地侍のうち、おおむね岸和田以北の者は中村一氏に従い、岸和田以南の者は紀州側に加わっている(『大阪府史』pp.39-40)。
- ^ 根来・雑賀衆は中村・沢・田中・積善寺・千石堀(いずれも現貝塚市)に付城を築く。以後、岸和田勢と紀州勢との間で小競り合いが頻発するようになった。根来・雑賀衆は畠山貞政を名目上の盟主に立て、さらに紀南の湯河氏の支援も受けた。
- ^ 同年7月、顕如は鷺森から貝塚に移った。雑賀衆らの秀吉への敵対に、本願寺本隊が関与していないことを示すためと言われる(『荘園の世界』上巻p.280)。
- ^ 小牧・長久手の戦いの対戦相手である徳川家康は井上正就を派遣し、紀州勢と同盟を結んでいる。また、紀州勢に匿われていた仇敵の佐久間安政の蜂起や、四国の長宗我部氏と紀州勢との連携も確認される。
- ^ 宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』78号、2008年)
- ^ “米子城にまつわる史跡”. 米子市ホームページ (2011年2月28日). 2018年10月17日閲覧。
- ^ 金春流肥後中村家オフィシャルページ
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