下津清太郎とは? わかりやすく解説

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下津清太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 04:23 UTC 版)

下津 清太郎(しもづ せいたろう、1908年 - 1996年)は、日本歴史家官僚

三重県津市出身。三重県立津中学校(現三重県立津高等学校)、第八高等学校卒、1931年東京帝国大学法学部卒。東京市名古屋市自治行政に携わる。のち京都地方裁判所司法委員[1]。本務のかたわら西洋史を研究した。

著書

  • 『君主制』石崎書店 1968
  • 『世界帝王系図集』編 近藤出版社 1982 東京堂出版、2001
  • 『ヨーロッパの王家の歴史』全5巻 近藤出版社
1、ハプスブルク家 1984
2,ブルボン家 1984
3,ロマノフ家 1985
4,ホーヘンツォルレルン家 1986
5,ハノーヴァー家 1986

脚注

  1. ^ 『世界帝王系図集』東京堂、著者紹介



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