ロシアの近代化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 19:49 UTC 版)
ピョートル1世の治世下 (1682-1725) で、ロシアの文化は世俗化が進み、18世紀初頭には徐々にロシア文学・絵画・音楽が形成されてくる。17世紀末には兆候が現れ始めていたが、大きな変化は18世紀初頭、1703年のサンクトペテルブルクの建設と共に具体化する。 住人のほとんどが文盲という国にあって、ピョートルはロシア初の無料の新聞「ヴェドモスチ」 (「ニュース」の意)を創設した。ラテン文字アルファベットの影響を受け、ロシア語アルファベットの改革によりキリル文字が単純化された。また、多数の学校や教育機関が創設された。海事アカデミー、工科学校、モスクワ医学校、ロシア科学アカデミーに加え、ロシア初の博物館であるクンストカメラも冬宮殿の近くに創設された。 しかしながら、ピョートルは文学と芸術には深い関心は持たなかった。アカデミーや行政一般の改革に見られるように、ピョートルは結局のところ実務的な人物であった。同様に、キリル文字で印刷された最初期の書物も、軍事技術や手紙の書き方といった実用的な案内書であった。
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