ガイウスの改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 03:45 UTC 版)
ヌマンティアとの和平に対する不評と、元老院がこの条約を破棄した際の厳しい態度は、ティベリウス・グラックスに忘れられない悲嘆と怖れを植え付けた。そのために、あの勇気ある偉大な人物は元老院を離れたのだ。また、ガイウス・グラックスは兄の死を目の当たりにして、兄弟愛、怒り、自身の偉大な精神に突き動かされ、家族の復讐を果たそうとしたのだ。 キケロ『臓卜師の回答について』43 ガイウスは紀元前123年に護民官に就任した。彼は様々なセンプロニウス法を提案した。初年度だけでも、 Lex Sempronia agraria (センプロニウス農地法。兄ティベリウスのものを更新、新条項を盛り込んだ)Lex Sempronia viaria (センプロニウス道路法。恐らく農地法に付随する) Lex Sempronia frumentaria (センプロニウス穀物法。毎月おそらく5モディの小麦を6アスと1/3(トリエンス(英語版))で買えるように定めた) Rogatio Sempronia iudiciaria (センプロニウスの審判人提案。元老院の定数を300もしくは600増やすことを提案) Lex Sempronia militalis(センプロニウス軍務法。兵装を国庫負担とし、17才以下の徴兵を禁じた。紀元前109年の執政官マルクス・ユニウス・シラヌスの軍務法によって廃止) Lex Sempronia de abactis (一度解任された政務官が再任されないよう定めた) Lex Sempronia de capite civis romani (ローマ市民の頭格刑(死刑)に関するセンプロニウス法。人々による裁判の命令なしに市民を頭格刑に処してはならない。プロウォカティオ(上訴)を強化) Lex Sempronia de provinciis consularibus (両コンスルのプロウィンキアに関するセンプロニウス法。予定執政官の担当地域は、彼らの召集する最初の元老院の前に、元老院決議によって定め、その決議の妨害を禁止した) などがある。
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