オナイユで負傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「オナイユで負傷」の解説
5月14日早朝、すでに渡河していた30両の戦車だけでディナンの西約5キロのオナイユ(fr)へ進撃を開始した。これによりフランス軍が対応を決定するより早く部隊を浸透させることに成功した。 ところがオナイユ近くでロンメルの搭乗するIII号指揮戦車が対戦車砲を食らって坂から転がり落ちた。ロンメルは何とか脱出したが、顔を負傷した。フランス植民地から連れてこられた有色人兵士たちが、ロンメルを捕虜にしようと接近してきたが、隷下のカール・ローテンブルク大佐(en:Karl Rothenburg)率いる第25装甲連隊がこれを蹴散らしてロンメルを救出した。ロンメルは自分の戦車がやられたのは移動しながら攻撃をしなかったためだと考え、改めて師団の各戦車に「敵と遭遇しても停止せずに砲弾を撃ちながら強行突破せよ」と命じた。転倒したIII号指揮戦車は動かなくなったため、ロンメルはローテンブルク大佐の搭乗するIV号戦車に同乗するようになった。 フランス軍第9軍(fr)司令官アンドレ・ジョルジュ・コラップ中将(fr)はロンメルの第7装甲師団のこのオナイユへの進軍とハインツ・グデーリアンの装甲軍団のスダンでの渡河成功を恐れ、ムーズ川の防衛線を放棄してさらに西へ退却する事を命じた。
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