アリアラテス9世とは? わかりやすく解説

アリアラテス9世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/25 02:39 UTC 版)

アリアラテス9世
Ariarathes IX
カッパドキア
在位 紀元前101年 - 紀元前96年
全名 エウセビス(生名)
出生 紀元前110年
死去 紀元前86年
テッサリア
父親 ポントスミトリダテス6世
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アリアラテス9世エウセベス・ピロパトルラテン語: Ariarathes IX Eusebes Philopator, ギリシア語: Ἀριαράθης Εὐσεϐής Φιλοπάτωρ, 紀元前110年頃 - 紀元前86年頃)は、カッパドキア王国の国王(在位:紀元前101年 - 紀元前96年)を称した人物であり、ポントス国王ミトリダテス6世の息子でファルナケス2世の兄に当たる。

来歴

紀元前101年、カッパドキア王アリアラテス7世(en)が暗殺されたのに乗じて、ミトリダテス6世は息子エウセビスをカッパドキアに送り込み、アリアラテス9世として即位させた。エウセビスは僅か8歳に過ぎなかったため、ゴルディオス(en)の補佐を受けて統治を行った。しかし、アリアラテス7世の後継者としてアリアラテス8世(en)もカッパドキア国王として並立で即位していた。

そのため、紀元前96年共和政ローマがカッパドキアに介入してアリオバルザネス1世(en)をカッパドキアの新国王とした。これに対して、ミトリダテス6世は同盟関係にあったアルメニア国王ティグラネス2世の支援を受けて、同じくカッパドキアに介入したビテュニアニコメデス4世との争いに勝利を収めて、エウセビスをカッパドキア王に復位させたが、第一次ミトリダテス戦争でミトリダテス6世がローマ人に敗北したため、紀元前89年に再び追放された。

その後父と行動を共にしたが、第一次ミトリダテス戦争中の紀元前86年頃にテッサリアで戦死した。

先代:
アリアラテス8世
カッパドキア王
紀元前101年 - 紀元前96年
次代:
アリオバルザネス1世




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