すれ‐ちがい〔‐ちがひ〕【擦れ違い】
すれ違い
すれ違い
すれ違い
すれ違い
すれ違い
作者春野中
収載図書ディヴェルティメント―短編集
出版社新風舎
刊行年月2005.7
すれ違い
作者小野晃
収載図書ショートショート・ストーリー
出版社文芸社
刊行年月2008.3
すれ違い(1937年後半)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 07:18 UTC 版)
「ウォーアドミラル」の記事における「すれ違い(1937年後半)」の解説
この当時、西海岸では最下層から一転最強馬までのし上がったシービスケットが一躍人気を集め、さらに東海岸への遠征でサバーバンハンデキャップの勝ち馬アネロイドら東海岸の強豪古馬を打ち破っていた。そこで同馬と、東海岸で最強のウォーアドミラルとでマッチレースを行おうという企画が全国で検討され始め、ハイアリアパーク競馬場やアーリントンパーク競馬場などが開催地に名乗り出ている。ベイメドウズ競馬場はそれぞれの馬主に電報で正式に申し出を行ったが、西海岸までの遠征を嫌がったリドルによって断られた。 当のウォーアドミラルは復帰戦の10月26日のローレル競馬場での一般戦(8.5ハロン)ではアネロイドと対戦し、これを2馬身半差で破った。その4日後10月30日に出走したワシントンハンデキャップ(ローレル 10ハロン)にはシービスケットも出走を予定していたが、馬場状態が悪いことを理由に出走を取り消したため、直接対決は立ち消えになった。同競走はウォーアドミラルが1馬身半差で楽勝した。シービスケットの馬主チャールズ・スチュワート・ハワードはその後も両馬のマッチレースを強く熱望しており、ピムリコ競馬場の支配人であったアルフレッド・グウィン・ヴァンダービルト2世とともマッチレースの計画を練ったが、リドルはこの企画も断った。 11月3日に行われた第1回ピムリコスペシャル(12ハロン)には再びウォーアドミラルとシービスケットが登録していたが、再び馬場状態を理由にシービスケットは出走を取り消した。この日のウォーアドミラルはいつに増して荒れており、ピムリコの発走委員であったジム・ミルトンはこれをなんとかゲートに並ばせるために、ウォーアドミラルの唇をやっとこで挟み、その間に尻を押して整列させた。この行為は後でリドルの怒りを買い、以後の出走予定からピムリコのものをすべて外させたという。スタートのトラブルもあってか、レース中もウォーアドミラルは精彩を欠き、28ポンド(約12.7キログラム)差のマスクドジェネラルという馬に先手を譲ってしまった。しかし、第4コーナーで同馬が外に膨れた瞬間に内から捉えて、1馬身半差をつけて勝利した。 結局シービスケットとの勝負付けはならなかったものの、このシーズン三冠を含む8戦全勝の成績が評価され、ターフ&スポーツダイジェスト誌による年度代表馬選考において、同年の最優秀3歳牡馬、ならびに年度代表馬に選出された。
※この「すれ違い(1937年後半)」の解説は、「ウォーアドミラル」の解説の一部です。
「すれ違い(1937年後半)」を含む「ウォーアドミラル」の記事については、「ウォーアドミラル」の概要を参照ください。
「すれ違い」の例文・使い方・用例・文例
- すれ違いのページへのリンク