第875回:エンジン別売りでも欲しい!? 新型「ランチア・イプシロン」を販売店で観察
2024.09.05 マッキナ あらモーダ!ディーラーにやって来た
イタリアの自動車販売店は、毎年8月末になると活気がよみがえる。夏のバカンス中、今乗っているクルマの不具合を発見して「買い替えどきか」と思いたつ人あり、新入学期を前に、(イタリアでは義務である)幼稚園児や小学児童の送り迎え用に、クルマが必要となる人あり、と理由はさまざまだ。
シエナのステランティス系販売店「スコッティ」もしかり。先日のぞいてみると、平日午前にもかかわらず商談客で賑(にぎ)わっていた。
最も賑わっているのはやはりフィアットの部で、人々のお目当てはベストセラーの「パンダ」のようだ。
旧FCA系の各ブランドを網羅した店内を見回すと、以前はフィアットと一緒だったランチアに、より独立したコーナーが与えられている。当連載第840回「新生ランチア 販売最前線でも熱烈準備中」で記した工事が完成したのである。
1台分ある展示スペースに置かれているのは、2024年2月に発表された新型「ランチア・イプシロン」だ。「フィアット・グランデパンダ」や、「アルファ・ロメオ・ジュニア」の展示車がまだやって来ないなか、ショールームで最も新しいクルマである。
新型イプシロンには、電気自動車(BEV)版とマイルドハイブリッド版が用意されている。いずれにも3グレードあって、基本は車名どおりの「イプシロン」、中間は1966年からランチアのデラックス仕様に用いられていた名称を引き継いだ「LX」である。そして最上級が、目下のところ限定仕様で、高級家具ブランドとのコラボレーションによる「カッシーナ」だ。
その日ショールームに展示されていたのは、マイルドハイブリッドのLXであった。2月の発売時点ではBEV版のみだったが、当初の予想より早く内燃機関版が購入可能になったかたちだ。
車両脇に置かれたスペック表に準じて概説しよう。
- 排気量:1199cc
- 最高出力:100HP
- 変速機:6段AT
- パワーユニット:マイルドハイブリッド
- 二酸化炭素排出量:103g/km
- 燃費 混合モード:4.6リッター/100km(筆者注:1リッターあたり21.7km)
展示車に装着されているオプション
- エクスクルーシブ・パッケージ
- マーブルホワイト(車体色)
価格は明記されていなかったので、ウェブカタログをもとに筆者が補足すると、2万3900ユーロ(約386万円)だ。これにオプションが付くと、日本円換算で軽く400万円を超えると思われる。
13年間にわたりポーランド工場で生産され、モデル末期まで販売トップ3の常連であり続けた従来型は、年々強化される欧州排出ガス規制への対策コストや電動化への対応が極めて難しいことから、すでに生産終了している。ただし、“在庫限り”の車両はまだあって、イタリア政府の2024年度補助金を活用すれば1万ユーロ(約160万円)で買える。価格だけ見ても、新型は明らかに異なる車格設定なのである。
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インテリアだけで買う価値あり
実車と対面するのは、2024年5月のミッレミリアでプロモーションとして走行していた車両以来だ(参照)。
新旧のサイズを比較してみると、以下のようになる。
【従来型】
全長:3837mm
全幅:1676mm
全高:1518mm
ホイールベース:2390mm
【新型】
全長:4080mm(+243mm)
全幅:1760mm(+84mm)
全高:1440mm(−78mm)
ホイールベース:2540mm(+150mm)
展示車の塗色は、前述のようにマーブルホワイト。カタログを飾る華やかな色とは裏腹に、大半のイタリア人ユーザーが選択するのは、こうした無難な色であろう。
膨張色であるにもかかわらず、意外とコンパクトに見える。大抵ショールームで見るクルマは、路上で見るより立派に見えるものだけに不思議である。新しいランチアのショールーム自体が明るく、光滲(こうしん)現象(明るい領域が暗い領域に進出するように知覚される現象)が起きにくいのとともに、筆者の「従来型より立派になった」という知識が、勝手に頭の中のイプシロンを大きくしてしまっていたのかもしれない。
主張を抑えた控えめなキャラクターライン、フロントフードからボリューム感をもって始まり、リアフェンダーで穏やかに終わるショルダーラインは――歴代「デルタ」、初代「テーマ」や「カッパ」の時代に一時断絶したが――明らかに往年のランチアの特徴を継承しようと努力している。
エクステリア以上に印象的なのは室内である。鮮やかなオレンジのベロアのシートだ。1976年「ガンマ クーペ」などに見られたものをほうふつとさせる。生地は昨今のおきまりであるリサイクル素材を採用している。
このシート、ダッシュボード以上に目を奪われる。これが欲しさに、たとえエンジンが別売りでも手に入れたいとさえ思えるほどのデザインだ。「ホコリがつきやすいだろう」といった、ささいなことは、もちろん忘れてしまう。
筆者の身長は約166cm。けっして背が高いほうではないが、前席で快適なポジションをとると、後席のヒザまわりはそれなりにタイトになる。薄暗さは姉妹車アルファ・ロメオ・ジュニアのそれと似る。
スイッチ類の配置や配列からは、同じCMP(コモン・モジュラー・プラットフォーム)を用いる姉妹車アルファ・ロメオ・ジュニア、フィアット・グランデパンダとの共通性が見られる。同じパーツを使っていることが一目瞭然の部分も見受けられる。それも、コストをはじめとする厳しい制約のなかで、ここまでランチアらしさを演出しているのは秀逸だ。
このインテリアデザインを主導したのはジャンニ・コロネッロ氏である。2019年にランチアへと移籍する前は、2014年から同じ旧FCAのマセラティでチーフ・インテリアデザイナーとして、コンセプトカー「アルフィエーリ」や生産型「レヴァンテ」を担当している。
そして新型イプシロン発表後の2024年5月、ランチアブランドのデザイン責任者に昇格した。インテリアのエキスパートがトップになるのはけっして初めてではないが、そう多くない例である。今後のランチアデザインが楽しみだ。
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あと2年、ブランドの命運を担って
販売の第一線に立つ人の意見も、ということで、セールスパーソンのマルコ・ボネッリ氏に聞いてみた。彼は「売れているのはマイルドハイブリッド仕様」と認める。
新型イプシロンを予約済み、もしくは予約しようとしている顧客の下取り車はどのようなブランドか? という問いに対しては、「イプシロンと同じBセグメントに属する『オペル・コルサ』『ルノー・クリオ』『プジョー208』 などです。他にもキア、ヒュンダイ、トヨタもありました」と教えてくれた。
いっぽうで新型の顧客は、従来のそれとどう異なるのか? という質問に、ボネッリ氏はこう示唆する。「新型は間違いなく新しいコンセプトです。初代はそのサイズ、ハンドリング、機能性、実用性によって、イタリア家庭に最も愛されたクルマの一台として歴史をつくりました。いっぽう新型はイタリアの高級家具ブランドであるカッシーナとの協業など、独自性、品格、そしてテクノロジーに焦点を当てています。これは、顧客の照準がはるかに広いことを意味すると同時に、私たちは、彼らの要求が厳しいことも意識しています」。そしてこう付け加えた。「新型イプシロンは、ありふれた小型車ではなく、他車とは一線を画し、技術的に高度なクルマを望んでいる人にとっての答えになるかもしれません」
ところで、ステランティスのカルロス・タバレスCEOは2024年7月、グループ決算発表で同年上半期の営業利益率が10%を切ったのを受け、傘下にある14ブランドのうち利益を上げられないブランドを容赦なく削除するだろう、と述べた。
彼のコメントとともに、クローズアップされたのはマセラティの業績だった。2024年上半期の世界販売台数は半減。純利益は48%減となり、8200万ユーロの営業損失を記録した。さらにステランティスの最高財務責任者ナタリー・ナイト氏が「ブランドにとって最善の居場所はどこかを検討する、ある時点がくるかもしれない」と発言したことから、「最初の“仕分け対象”はマセラティか?」といった空気が、同年7月30日に「売却の意図なし」と発表されるまで関係者の間に取り巻いた。
ランチアもけっして油断はならない。ブランドの10カ年計画によると、2025年にはイプシロンの高性能バージョンである「HF」を、2026年には「アウレリア」もしくは「ガンマ」と称するクロスオーバーを、2028年にはハッチバックの新型デルタを発売する予定だ。HFはイプシロンの1バリエーションであるから、あと2年は2万ユーロ超のこのクルマで一本足打法を続ける必要があるのだ。ランチアブランドの運命は、イプシロンにかかっているのである。
ランチアは欧州各国・地域でブランドの復興を狙う。個人的に憂いているのは、そのプレミアム路線復帰を歓迎するユーザーがどの程度いるかだ。近年のドイツ系プレミアムブランドに見られる、日本で言うところのオラオラ感とは趣を異にする優雅さが、どこまで理解されるか、ということなのである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA> /写真=Akio Lorenzo OYA、ステランティス/編集=堀田剛資)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、23年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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