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海賊ユートピア Pirate Utopia

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LINER NOTES

『海賊ユートピア 背教者と難民の17世紀マグリブ海洋世界 
Pirate Utopia 』
ピーター・ランボーン・ウィルソン:著、菰田真介:訳(以文社)


妄想社会主義へと潜航するための海図を描く

小笠原博毅

真・善・美がそれぞれ科学、道徳、芸術へと姿を変えていった西欧キリスト教社会の18世紀に先駆けること50数年前、神とそれへの信仰だけは、「啓蒙時代」以前に、より合理的で世俗的な、つまり生き残るための大変換を蒙った。キリスト教からイスラムへ背教した者たち(レネゲード)や陸のしきたりから逃れた者たちは、神を乗り換え、陸ではなく海に活路を見出し、王権の外部に共和政を想像し(一部は実現し)、船上では「独立漂流民主主義体制」が取られていた。地中海世界からカリブへ、そしてインド洋へ、有象無象の海賊たちは、海域を移動し、生まれ変わり、奪い、サボり、戦い、死に、生きた。ユートピア的自由と共産主義的掟を「アナーキー」に生きるという矛盾-「自由」とアナーキーが「原理的に」両立しえないことはもはや明らかだ-を体現する構えの集合体としてある「海賊ユートピア」。
しかしそんなうまい話あるか?
ピーター・ランボーン・ウィルソンは、そんな話があるともあったともないともなかったとも「実証的には」言っていない。彼の海賊(人類)学は、そういうふうに考えられる、考えるしかない、考えた方がいい、それ以外考えられないでしょう、いやぁ、そうじゃないと考えられる理由がありますか、という眼も眩むような誘(いざな)いである。しかしまどろみの中でこそ覚醒の威力を発揮するその誘いは、クリストファー・ヒルやマーカス・レディカーといった、より「実証的な」初期資本主義の歴史家たちの顰に習ったものだ。
棄教の要因としてイスラム教の信仰的魅力そのものを重視する彼の視点は、ともすれば神秘主義や宗教回帰とも受け取られかねないが、そこはよく読むべきである。キリスト教よりイスラム教が「よかった」のは、それが生存するために必要だった、生きる術として状況に合致したからだ。このいわば霊的なものの唯物論とでも呼べるパースペクティヴが彼の思想的深部に横たわる理由を、例えば上野俊哉に倣って、井筒俊彦との知的交感に求めてもいいだろう。
しかし、問題は起源ではなく状況である(!)。「前衛」とはたいがい何かを間違えて少しだけ性急に舞台に上がってしまった者たちだ。間違えたものは、結果としてしくじらざるをえない。ムーアの海賊たちは何を間違えてしまったのか?夢にまどろみながら妄想するのではなく、おそらく本当に共和国を作ろうとしてしまったのだろう。その間違いがもたらしたしくじりという航跡によって、我々は彼らの生と死の在り様と同時に、ありえたかもしれないがゆえに来たるべきものとしての可能な世界を妄想することができるのかもしれない。

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