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劇場版『屍者の帝国』公開記念! 編集担当が語る、原作長編版の秘密。

去る10月2日、ついに劇場版『屍者の帝国』が公開となりました。原作をすでにお読
みの方もまだの方も、ぜひ劇場でご覧になって頂けましたらと存じます。
同日、河出文庫からは、大森望責任編集『NOVA+ 屍者たちの帝国』という書き下
ろし競作アンソロジーを刊行いたしました。
これは伊藤計劃の遺した原稿(長編版『屍者の帝国』のプロローグ部分)で提示され
た世界をシェアード・ワールド的に共有しながら、第一線の作家8名が自由に短編を創
作する企画ですが、編集作業中に、長編版『屍者の帝国』の円城塔パートにより描か
れた世界観および基本方針を編集部側で「長編版『屍者の帝国』の世界の概要」とし
てまとめておきました。
「劇場版『屍者の帝国』公開記念!原作長編版の秘密。」などと大仰なタイトルを付
けましたが、ここでは、そのまとめを皆様にお目にかけようと思います。
基本的には長編版を読めば分かる事柄ですが、一部、踏み込んだ解釈も行なっていま
す。
そのような記述については、あくまで編集部側における作品の一解釈にすぎないもの
であることをあらかじめお断りしておきます。へ~そんなふうにも読めるんだ~、な
どと楽しんでもらえましたら幸甚です。
原作を読んでいない方にとっては何が書かれているのかチンプンカンプンなことかと
思いますので、今回のかわくらメルマガの内容はハズレだったなあ、と諦めてくださ
い。大変申し訳ありません。
(本稿、敬称略。以下に出てくるノンブルは文庫版のページ数)

◎基本方針
1)屍者技術の存在を除き、できるだけ史実は改変しない。
(屍者技術が世界に広がれば、現実の歴史とはかなりの乖離が生じるはずですが、それ
は無視)
2)科学技術も、屍者技術以外は、現実の19世紀末に実在したもののみを描く。
ただし、既存のフィクションから架空の技術を援用することはOK。
例:『海底二万里』の潜水艦ノーチラス号、『未來のイヴ』のロボット・ハダリー......
3)既存のフィクションから人物や技術を援用する際は、当該作と齟齬のないよう留意
する。
*プロローグ以外の『屍者の帝国』に、上記ルールに反するものがあれば、ケアレス
ミスです。
(例えば単行本の初版には、1937年完成のゴールデンゲートブリッジがありました。
文庫版では修正されています)

◎作品内の時系列
1878年6月頃 ワトソン、ウォルシンガム機関の一員に(プロローグ)
     9月15日 ワトソン、ボンベイに(第1章冒頭)
    12月1日 ワトソン、カイバル峠に(第1章、p.99)
1879年6月30日 ワトソン、日本に(第2章冒頭)
     9月23日 ワトソン、アメリカに(第3章、p.333)
     9月30日 ワトソン、帰国(第3章、p.438)
     *第3章の末尾、ロンドン塔の出来事はこの日の明朝のこと
     *ノーチラス号のお蔭で、米国東海岸から英国までの大西洋横断は驚異的な速度
     *その後、1年近く、ワトソンはボンベイ城で軟禁生活(エピローグ、
     p.492)
1880年11月26日 ワトソン、帰国(エピローグ、p.492)
1881年1月 ワトソンのもとにハダリー(=アイリーン・アドラー)来訪(エピロ
      ーグ、p.500)
     *同年1月、ワトソン、ホームズと出会う(コナン・ドイル『緋色の研究』)

◎ホームズ正典(コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズ」もの)との関係性
*『屍者の帝国』のワトソンとホームズ正典のワトソンとは同一人物である。
*ただし青い石を頭に埋め込んだワトソンは性格が一変したため、『屍者』とホーム
ズ正典のワトソンは別人状態(p.512~513「個体としての同一性は維持している
が、最早別の人物だ」)。
*その後のワトソンは「生者と屍者の区別さえついてい」(p.513)ない。それゆ
え、そのワトソンが語る物語であるホームズ正典には、「屍者」が記述されていな
い。

◎「屍者」について
*18世紀末にヴィクター・フランケンシュタインが遺した研究記録「フランケンシュ
タイン文献群」を基に研究が重ねられ、約70年を経て(1850年前後?)「現代(19
世紀末)の屍者技術」として開花する(p.155)。労働用・軍事用としての屍者が現
在(19世紀末)のように普及したのは、ここ30年以内のこと。
*屍者の耐用年数は一般に20年といわれるが、正確なところは未知数(p.175)。30
年以上動き続けている屍者は、おそらくまだ存在していない。
*メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』は、実話を基にした創作物と一般に思
われている(p.151~)。
*とくに最初の屍者=ザ・ワンが人と同じに動き、思考し、話すことが出来たという
ことは、「おとぎ話」のように一般に思われている。
*ザ・ワンが通常の屍者と異なる理由は、彼が最初の人類=アダムであったから。p.
464で復活した花嫁は、イヴ(と第3部ラストで示唆されるが、明確には描かれていな
い)。
*死者の脳に擬似霊素を上書きすることで、「屍者」は復活する。現在の英国標準屍
者は、運動制御系の標準モデル霊素として「汎用ケンブリッジ・エンジン」をインス
トールした上で、更に「御者プラグイン」「執事プラグイン」など状況に応じたプラ
グウインをインストールされている(p.20)。優秀な屍者技術者であれば、動作を見
ただけで、その屍者が搭載しているエンジン型式などを察することも可能(p.64)。
*屍者の動作はぎこちなくゆっくりしたもので、生者そっくりに動くことはできな
い。
*その特有な歩き方は「フランケンウォーク」(p.20~21)と呼ばれる。
*なめらかな動きを実現させるために、様々な四肢制御技術の研究が進められてい
る。そのひとつが「グローバル・エントレインメント」(p.21)。グローバル・エン
トレインメントの実態は、「霊素を上書きされた生者」という禁断の技術であった
(p.170)。
*屍者は、無表情で、意思がない。
*屍者は、口を利かない(声帯の機能を有していても、なぜかしゃべれない)。
*屍者は、呼吸をしない。
*屍者は、眠らない。
*屍者は、飲食しない(詳細は不明。木の実程度ならば食べていた??動力源も不明)
*屍者は、死臭がする(屍者を身近において暮らす者も多いことから、そこまできつ
い臭いではなく、おそらくは「生者の体臭とは異なる」程度かと思われます。p.58参
照)。
*肉体が傷ついても、痛がる素振りも見せない(痛覚ももたないのでしょう)。
*血液は、黒ずんでいてねばっこい(p.102)。
*死体は男女いずれでも屍者化が可能。ただし宗教的理由で、女性の屍者化は禁止さ
れている。ワトソンが初めて女性屍者を目撃したとき衝撃を受けていた(p.60~61)
ことから考えて、英国で普通に暮らしていたら、女性屍者を目撃することはないと思
われる。ただし水面下では、女性屍者も非合法的に数多く作られている(p.337~
339)。詳細不明ながら、女性屍者が合法な国・地域もあるかもしれない。
*屍者化する死体に年齢制限があるかは不明。子供の屍者を目撃したワトソンは、女
性屍者を見たときと同様に衝撃を受けているので(p.145)、英国では子供の屍者化
は禁止されていると思われる。
*人間以外の生物を屍者化することは不可能(p.70、412~)。

◎『屍者の帝国』世界のその後
*ワトソンはどうなったのか? 単行本版・文庫版『屍者の帝国』の「プロローグ」
扉の右に掲げられた英文にヒントがある。これはコナン・ドイル著「最後の挨拶」
(時系列的にホームズ正典の最後の事件)でのホームズの発言だが、ここではワトソ
ンが記述したものとして採用されている。
引用文の冒頭で「Good old Watson!」と呼びかけられていることから、「彼の中の
昔の彼(Good old Watson)」(p.513)がついに帰還したものと推定される。
なお、「Start her up」は「馬車を走らせろ」ではなく、「彼女(=ハダリー)を起
動させろ」であるものと想像される。
*屍者技術はどうなるのか? ザ・ワンによる「作業は終了した」(p.457)こと
で、単一な菌株に混沌が生じて、次第に屍者化が不可能な世界となってゆき、何年後
か、何十年後か、何百年後かは不明ながら、いずれは屍者技術は消滅するはずであ
る。
*伊藤計劃は『屍者の帝国』を『虐殺器官』『ハーモニー』とは完全に別世界の物語
として構想していたが、もし『屍者の帝国』の世界が『虐殺器官』『ハーモニー』の
世界と繋がっていると仮定するならば、『虐殺器官』の時代までには、屍者技術は消
滅していることになる。
*その場合、『虐殺器官』における「虐殺を司る器官」とは、「暴走を引きおこすセ
キュリティ・ホール」(p.274)であり、『ハーモニー』におけるラストは、「単一
のXによって実現される意識」(p.453)なのではないか。つまり『虐殺器官』『ハー
モニー』は、円城塔の菌株理論による上書き的な読み替えもまた、可能であると考え
られる。

(編集部・伊藤靖)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *
【関連書籍】
伊藤計劃/円城塔『屍者の帝国』(河出文庫)

大森望責任編集『書き下ろし日本SFコレクション NOVA+ 屍者たちの帝国』
(河出文庫)

【映画公式サイト】


(初出:『かわくらメルマガ』vol.84 劇場版『屍者の帝国』公開記念! 編集担当が語る、原作長編版の秘密。)