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2014年3月28日金曜日

やまんばの寄せ植え




やまんばは寄せ植えってモノを生まれて初めて今朝やってみた。

そんなもんがあるなんてしーらなかった。本屋さんでステキな表紙の写真が目について、ぱらぱらとめくってみたら、目が釘付けになった。

ななななななんてステキな世界だ!
こっこれはなんとゆーものだ?
なになに?寄せ植え?
寄せてえ~あげてえ~の、ブラジャーみたいな名前のジャンルじゃないか。しかもブラジャーみたいに、ぴらぴらチャラチャラしてて!なんてすてきなのうううう~。(そんな趣味あったんかい。最近どーも人格が変わってきつつあるので自分でも戸惑う)

ムラウチホビーでおととい買ってきたお花の苗を、ぴらぴらしたブラジャーみたいに寄せてみたわけさ。
なんと!

ずでぎい~~~~~。(写真にアップできないのがもどかしー)

玄関の階段の所に置いてみた。なんか玄関がゴージャスに見える。庭でふんぞりかえっている雑草まで寄せてみた。踏まれてもへーきな荒くれどもが、おすまししてよそ行きに見えるではないか。なんでや。

黒田さんの寄せ植えは、植物の美しさを心で感じ取っている植え方だ。
やまんばが畑で草ぼーぼーを眺めている時、ハッとするよーな美しい取り合わせにであう瞬間がある。オオイヌノフグリとホトケノザとカラスノエンドウが美しく流れるように絶妙な取り合わせで咲いていたりするのだ。
その、心がうわああああ~~って、感動する瞬間を、いっぱい見てきた人の寄せ方だ。そりゃそーだわな。やまんばがわざわざほめる筋合いではないわな。

今年はなぜかむしょーに鼻が気になる(ちがうだろ)、花が気になる。
食うことの対象でしか考えてなかった植物を、今度は目で食べる(やっぱり食うことかい)目線で見始めている。

植物は私たちにあらゆる豊かさをくれる。お米も、ワインも、チーズも、生ハムも、机も、石油も、み~んな植物からできている。この地球上に植物がいなかったら、私たちの生活はなんて質素だったろう。(とゆーか、生きてない)

今年は庭の梅の木が満開。今も甘酸っぱいまわりにふりまいてくれている。
ああ、植物さん、あじがとーーーーーっ。

2012年7月20日金曜日

今年の夏野菜

「草がすごいんでい。くっそおお~、あったまにくる!」
近所の農家の兄ちゃんが、草刈り機の手を止めて、やまんばに怒りをぶつける。

「ったく、草ばっかりでっかくなりやがってよお。野菜なんかこれっぽっちも育ちやしねえ。ジャガイモなんか半分でえ。おまけに土の中で腐り始めるしよお」

今年はジャガイモがダメなんだろうか。妖怪んちのも半分よりちょっと多いぐらいと言っていた。
やまんばの畑と言えば、ジャガイモ?そんなもん、畑に植えたっけ?ってなぐらい壊滅状態。一個の種芋につき、一個とれればいい方だ。6mぐらいの畝をぜーんぶさくっても、バケツに3分の1ぐらいしかない。それもちっこいちっこいまめつぶみたいなやつばかり。買って食った方が全然お得だったあー!

他の野菜も同様のようだ。
「盆にウチのキュウリが間に合わなかった」
となげく。ここいらの盆は7月。本家の跡取り息子でもある兄ちゃんは、ご先祖さまを迎え入れる迎え火をたく。そのとき、キュウリの馬とナスの牛を盆棚に置くのだが、それが間に合わなかったらしい。スーパーで買ってきたんだろうか。本家としてのつとめが果たせなかったようだ。

キュウリばかりじゃない。オクラもピーマンもみんな背が低い。なりもちっこいのだという。なんだ。うちとおんなじじゃねえか。いや。やまんばんちほどひどくはないとおもうが。

ウチのオクラは背丈30センチ(笑)。
なのに、ちっこい花を咲かせて、ちっこいオクラの実をつけて頑張っている。ピーマンもこれまた背丈30センチ。だけど、彼らもまた、ちっこい身体に一所懸命、たわわに実をつけてくれている。
一人元気なのがトマト。重そうにぶんぶん実をつけて、どんどん真っ赤になってくる。

「太陽が元気がねえんだ。だから野菜が育たねえ」
兄ちゃんはその原因を太陽の活動に求める。
「こんなに暑いのに?」
「いんや。ほんとは元気がねえんだ。太陽の黒点が全くねえ。今は氷河期に向かってるんでい」

最近、地球が様子が違う。あきらかに今までと違う。何かが起こっているようだ。近所の草取り名人のじっちゃんまでもが、今年の草の勢いにはすっかりまいっちまっているそうだ。
まあ、かといって、やまんばのちっこい野菜を、地球さんのせいにするのはなんなんだがね。

とりあえず、やまんばの野菜のちっこいのんは横においておいても、野生の草が旺盛に育っていて、野菜が育たない、と言うのは、何か意味するものがあるんではないだろうか。

近所の化学肥料と有機のセットで育てている畑の野菜たちにその傾向はみあたらない。相変わらずどんどんでかくなっている。
本家の兄ちゃんの所は、一切化学肥料を使っていない。やまんばの所も、もちろんその有機肥料さえも使っていない。だからなおさらその自然の変化をまのあたりにするのかもしれない。

草は原始の姿をその中にとどめているが、野菜は長い間の人間の智慧が入って作られた、いわば人工的なものだ。その彼らが、それぞれ力をつけはじめたり、小さくなっていったりするのには、なにかわけがありそうだ。

この地球上で何か変化が起こっているとするならば、植物の中に変化が起こっても不思議ではない。なんかしらのリセットがおこなわれているのかもしれん。

野菜育てている皆さんはどうですか?
なんか今年に限ってのかわった変化は見当たりますか?

2012年7月9日月曜日

2世は強い

3年越しの挑戦、ズッキーニの栽培がなんだかうまくいってる。3度目の挑戦にして、やっとこさあこがれのズッキーニを食べて、ほくほくしているやまんばである。なんでセーコーしたんやろ?
今から思うに、ようは、手をかけたからか?

苗で買ってきたズッキーニは、最初ウリハ虫に食われまくって、もうお陀仏寸前だった。だけど不織布をかけてウリちゃん攻撃を防いだり、足下の草を刈ったりひっこぬいたりしているうちに、どんどん元気になってきた。種から育てた固定種のステラも実を結びはじめている。これはぜひ種取りしたいもんだ。
トマトとモロッコインゲンもとれはじめている。キュウリはまだちょいとかかりそうだ。ナスはまだまだ。とれないかもしれん。でも様子を見る。
とにかくすべてが無肥料だから、肥料食いと、なくても平気なやつとの差がはっきり出てきた。

今まではやまんばの「育て方の下手さ」ゆえにできなかったのかもしれん。
よく考えりゃ、まだ小さいとき、草の中にいる小さな双葉や苗に向かって
「お前、たくましく育てよ!」
と言った所で、所詮長い間人工的に栽培されてきた「野菜」という名のついた野草に、それは無理な注文だったんかもしれん。
文明慣れしたスーパーのパック入り食材しか知らないボクちゃんに
「ほれ、ピダハンの生活して大きく育てよ!」
とアマゾンの奥地にほり投げた所で、ゴキブリひとつ捕まえられず、日干しになるに決まっている。

ところが一度そこに根を下ろして実を結んだやつは、どうも強い。所構わず出て来ようとする。
スナップエンドウを回収して、そこにキュウリの種を仕込んだが、そこからこぼれ種のスナップエンドウが芽を出し始めた。
あんた、今から芽だしてどーするねん(本来は11月頃種を降ろすもの)。
でもま、どーなるか様子を見よう。そのキュウリの畝には、去年のサトイモの芽まで出始めた。キュウリとサトイモとスナップエンドウの畝になりそうだ。
他の場所に去年のトマトも出ている。これは交配種だが、好きに大きくなってもらうことにする。

なんだか交配種だろうが固定種だろうが、いったんそこで種を落とすと、
「わし、ここで育つことにする」と決めているかのようだ。

パック入り食材しか知らないボクちゃんも、ピダハンの村でよめっこさもらって、子供作ったなら、その子はりっぱなピダハンの男になるんだろう。そこで生まれ育った2世は、そこの環境でたくましく育つのだ。

2012年6月26日火曜日

ミミズが増えた!いーことなの?わるいことなの?

今年の畑は、ミミズが爆発的に増えた。
野菜の苗の足下の草を引き抜くたびに、にゅる〜っと顔を出す。畝間の草引き抜くたびにごろんと現れる。でっかくてまるまる太ったフトミミズ(たぶん)がうじゃうじゃいる。。。。
え”〜〜〜〜〜っ。

自然農の川口さんは言う。
「山にミミズはいないだろ?本来は畑にミミズはそんなにいないもんなのだ」

たんじゅん農法の林さんは言う。
「ミミズ自慢は恥じ自慢」

なんで?
去年までは本当にミミズが少なかった。年々減っていってた。だが、今年はどうだ?これで商売(ミミズ売ってもーけるのだ!)できるぞ。

やまんばは複雑だ。
だって。。。。まさにたんじゅん農法やってからミミズが増えたのだ。
剪定チップを入れ、草をすき込み、落ち葉をいれる。。。いままでとなにがちがうかというと、それをやってから何かが変わったのだ。それをやってミミズが増えたとしか考えられない。それとも雨が多いせいなのかなあ。

有機農法の人に言わせれば、「ミミズ!さいこー!」ってなるのだ。
もーなにがなんだかわかんない。なにがどーいいのか、なにがどーわるいのか、わかんなくなった。


あるヒトのブログでこう書いてあった。
「ミミズは、よく肥料によってくると言うけれど、本当は別の所に理由があるのではないか?」

人間が考えついたアイディアで、ミミズさんの出現理由を作っているけれど、本当の所はだれもわからない。ミミズさんに「あなたはどういう理由でここにいるんですか?」と直接インタビューしたわけではないから。

ということは、肥料によってくると人間が勝手に思っているだけなのだ。
ミミズがいるという事は、肥料があるからだという仮説に基づいているものだから「肥料につくのは良い事」(有機農法)と「肥料につくから、その土は肥毒を持っているからだめなのだ」(自然農、たんじゅん農法など)という考え方に終始してしまう。だけど、ほんとは肥料とカンケーなく動いているのなら、いる事の意味はもっと別の所にあるのだ。

人間はなんでも「いい」「わるい」と区別する。
そのいいこととは、結局人間さまのご都合主義なのだ。もっと太らせて食うのだ〜という欲から来ている基準なのだ。有機農法だって、自然農だって、自然栽培だって、たんじゅん農法だって、み〜んな、うまいもんを食うための「いい」「わるい」なのだ。

ミミズさんは、人間の欲が渦巻く世界にカンケーなく、ひたひたとご自分のお仕事をなさっておいでなのだ。
やまんばはそのまま受け止めて、ことのなりゆきをたのしむことにする。

2012年2月6日月曜日

イノシシは働いている

久々の雨にもかかわらず、畑に行く。
ピーマンとししとうの苗がからっからに乾いているので、それを小さく切って畝の上にばらまいた。カラカラのシシトウの苗に真っ赤なシシトウの実がひとつだけぶら下がっていた。ほかのシシトウの実は白く透明になってよれよれして手で触るとすぐ破れた。しかしその赤い実だけは堅く力強い皮になっていた。
中はどうなっているのだろう。力づくでひき破ると、中にりっぱな種がぎっしりつまっていた。やはり、植物は子孫を残そうとする実は、こうやってしっかりとした皮で守っているのだ。

この苗は買って来たものだから交配種に違いない。しかしここまで必死に種を残そうとしているシシトウに敬意を払う。よし、交配種だろうがなんだろうが、ここに植えよう。
ナス科の野菜は連作なんてもってのほか。やまんばはそんなジョーシキは無視。羽が生えて遠くに飛んでいくものや、鳥さんが好んで食っちゃって遠くに運んでもらうものではないもの、すなわちぼてっとその場に落ちて子孫を残すものはそのようにしてみよう。

さて、この畝をどーするか。ロゼッタ状に広がったギシギシやナズナさんたちがびっしり畝をおおっている。やまんばは、小さなクワを取り出して、浅く耕した。
雑草がひっくりかえされてしっちゃかめっちゃかになった畝を見てはっとした。
これはまるで、イノシシが掘り返したあとみたいじゃないか。。。

そういえば去年の夏、余った大根のさやを(さやのままだぞ)、フェンスの外にばらまいた。ある日イノシシが来てそこら辺りを掘り返した。それまで草ぼうぼうだったところにいきなり土があらわになった。すると間もなく、そこから次々と大根が芽を出し始めたのだ。あれよあれよという間に大根は大きくなった。いわゆる耕してもいない、がれきだらけの土の中に大根は育った。

よく自分の畑をイノシシにぐちゃぐちゃにやられた人が
「おう、イノシシに耕してもらったんでい」
と強がってみせるんだが、ほんとにそうだったりして。

考えてみると、山の土の中に空気が取り込まれるのは、根が張った草や木が死んで、その根が枯れて空洞になったり、ミミズやもぐらやヘビなどが穴をあけて空気を取り込む事ぐらいか?空気が土の中にどっかんと取り込まれるのは、ひょっとしたらイノシシが大胆にほっくりかえす事ぐらいなのかもしれない。とすると、彼らがミミズなどを求めてあっちゃこっちゃ掘り返すのは、結果的にその土に空気を入れたり、活性化させているんではないか。そうやって山や自然のバランスが作られているんではないか。

「あれ?オレって働いてる?」
と、振り返るイノシシ。

最近、畑に来る度におもうことがある。畝の中に空気が欲しいなあ。。。
なぜかひっくり返したくなる衝動に駆られるのだ。土の中にもっと空気を、と。

あれ?アタシって、イノシシしてる?