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32年前に借りた食事代を返したジャック・マー

アリババの会長ジャック・マーは、オーストラリアのニューカッスル大学に個人資産から2000万ドルを寄付し、「マー・モーリー奨学金」を設立した。それは、マーが32年前、オーストラリアを訪れた時に借りた食事代200元を返したものだと今日頭条が伝えた。

 

ホラを次々と実現していくジャック・マー

アリババのリーダー、ジャック・マーは、今、最も乗っている経営者だ。「銀行を変える」「Amazon Goより先に無人スーパーを開店する」「顔パスで利用できるレストランを開店する」「スマホも使わない決済社会を実現する」といった宣言を次々とし、世間からは「ジャック・マーはホラ吹き」と嘲笑された。しかし、この5年で、そのすべてを実現して、多くの中国人を驚かせた。

そのジャック・マーは、2000万ドル(約22億7000万円)の個人資金を供出して、オーストラリアニューカッスル大学に「マー・モーリー奨学金」を設立した。ニューカッスル大学開学以来最大の寄付金になるという。

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▲再会した現在のジャック・マーとデビッド・モーリー。32年前に借りた食事代の200元が、2000万ドルの奨学金資金となって返ってきた。

 

自転車で英会話の練習相手を探し回ったマー少年

1980年、中国はオーストラリアの訪中団を迎えた。訪中団は、中国各都市を回り、16歳のジャック・マー少年が暮らしていた杭州市にもやってきた。この訪中団の中に、エンジニアであるケン・モーリー氏がいて、彼が3人の子どもを帯同していた。

訪中団が杭州市を訪れたことを知ったマー少年は、自分の英語力を高めるために、どうにかして本場のオーストラリア人と話をしようと、風光明媚な西湖のあたりを自転車でうろついていた。

その時、偶然モーリー一家と出会ったのだ。マーは、躊躇なく英語で話しかけた。「こんにちは、僕はジャック・マーといいます。英語を学び始めたばかりです。友達になってくれませんか?」。

モーリー氏の息子であるデビッドがすぐに答えた。「こんにちは、僕はデビッド。こっちはお父さんのケン。友達になれて嬉しいよ!」。

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▲西湖で初めて会ったジャック・マーとデビッド・モーリー。16歳のジャック・マーは、ボロボロの自転車で英会話の練習をさせてくれる外国人を探していた。

 

長い交際が始まるジャック・マーとモーリー一家

父親のケン・モーリー氏は、まだ経済発展をする前の中国で、英語を学ぶためにボロボロの自転車で外国人を探しているジャック・マー少年の情熱に打たれた。息子のデビッドは、まったく文化の違う東洋の国に友達ができたことを喜んだ。

それから、ジャック・マーとモーリー家の友達づきあいが始まった。ジャック・マーとデビッド・モーリーは、頻繁に英語の手紙をやり取りするようになった。

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▲ジャック・マーが学生時代に、デビッド・モーリーに書いた手紙。ジャック・マーは、自分の目を世界に向けて開かせてくれたモーリー一家と生涯にわたる友情を育んだ。

 

海外を見たい。戦うジャック・マー、支援するケン・モーリー

5年後の1985年、ジャック・マーは進学した杭州師範大学で、学生の主席に選ばれ、杭州市の学生連合の主席にも選ばれた。ジャック・マーは海外に行き、世界の最先端都市を自分の目で見たいと願ったが、当時の中国では、ただの学生がパスポートを取得することは不可能に近かった。

そのことをデビッドの手紙に書くと、父親のケンは励ました。「諦めるな、挑戦してみようよ」。

その言葉に励まされて、ジャック・マーは、旅費を親戚から借りて、パスポートを取得しようとした。しかし、親戚はお金を貸すのを断った。当時の旅費は、中国人の財力から見ると、とんでもなく高額に映ったのだ。役所ももちろんパスポートの発行を拒絶した。

 

8回目の挑戦で、ようやく降りたパスポート

ジャック・マーは、パスポート取得を中央政府に直接訴えるため、北京にいき、窓のない地下室に泊まり、役所に通い詰めた。その時、オーストラリアでは、ケン・モーリーが駐中国のオーストラリア大使館に連絡を取り、ジャック・マーにビザを発行するように運動をしていた。

しかし、相変わらず、パスポートは下りない。ジャック・マーは北京の滞在費もなくなり、諦めて杭州市に帰らざるを得なくなった。しかし、帰る前にもう一度だけ、役所に行ってみようと思った。

「僕はもう7回もパスポート申請を拒否されている。せめて、その理由だけでも教えてくれませんか?」。そして、昔、西湖のほとりで友人になったモーリー一家のことを話し、今でも手紙をやり取りしていて、その友人に会いにいきたいのだと懇願した。その役人は、ジャック・マーの情熱に感じるところがあったのか、オーストラリア大使館に連絡をしてみると、確かにケン・モーリー氏が、ジャック・マーのビザ申請に助力してほしいと連絡してきているということが判明した。

「あと3日、北京で待つことはできない?」

「無理です。もうお金がまったくありません」

「そうか。じゃあ、30分なら待てるかな?」

そういうやり取りがあって、中国政府は、ジャック・マーに対するパスポートを発行した。

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▲シドニーを観光するジャック・マー。この初めての海外体験が、ジャック・マーの考え方を大きく変えた。

 

モーリー一家と再会するジャック・マー。食事代200元を借りる

ジャック・マーのオーストラリア旅行が実現した。しかし、持っていけるお金はたった100ドル。ジャック・マーにとって、もちろん初めての海外体験だった。オーストラリアでモーリー一家と再会した。ケン・モーリーとデビッド・モーリー親子は大興奮をし、ジャック・マーにオーストラリアの料理をご馳走した。しかし、お金のないジャック・マーには自分の分を出すことができない。ご馳走するのだからお金のことは気にしないでいいよというケン・モーリーに対して、ジャック・マーは「では、貸しておいてください。いつかきっと、食事代の200元(約3400円)をお返しします」と答えた。

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▲8回目の申請でパスポートを取得して、オーストラリアのニューカッスルを訪問した21歳のジャック・マーとモーリー親子。当時の中国で、パスポートを取得するのはきわめて難しいことだった。

 

自分の頭で考え、自分で決断をする中国人

ジャック・マーは後年こう語っている。「オーストラリアが僕を変えた。自分のことは、自分の頭で考え、自分で決断しなければいけないということがわかったのです」。

今年、ジャック・マーは、3度目のオーストラリア旅行をし、デビッド・モーリーと再会した。父親のケン・モーリーはすでに10年前に他界をしていた。ジャック・マーはあの時借りた200元を返そうとした。そして、デビッド・モーリーと相談をして、地元のニューカッスル大学の奨学金にすることにした。32年前に借りた200元は、多少の利息がついて2000万ドルになっていた。

ジャック・マーは、もしあの時、西湖でモーリー一家が友達になってくれなければ、自分は海外に目を向けることもなく、あの当時の中国では簡単に海外に行くこともできなかっただろう、ケン・モーリーが僕の人生を開いてくれたのだと語っている。

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