17人が思い描く人工知能の未来 |
Tweet前回の「人工知能を思い描く13人の夢」に引き続き、
今回の第2回募集では、17名の方々に記事を書いていただきました。(合計19記事になります。)
どうもありがとうございます!
今回応募していただいた19の人工知能記事を読んでみると、
「月刊 人工知能」という架空の雑誌が家に届いた感じがして、
すごくドキドキワクワクして楽しく読み進めていくことができました。
(実は、募集締め切り後に全ての記事をまとめて読んでいます。
募集途中の段階では、記事になるべく目を通さないようにしていました。)
「なるほどなるほど、それでそれで?」とか、
「あ、この人とこの人の言ってることってリンクしてる!」とか、
「お、それ面白い!」とか、「この点はもっと研究されるべきかも!」とか、
そんな感じで、読んでいる記事1つ1つに対して、
ひとりごとを声に出してつぶやいて記事へのリアクションをしていたりして、
今回も、一番の読者として私自身が思う存分に楽しませてもらいました。
感謝してもしきれないくらいに「ありがとうございます!!」という気持ちです。
ありがとうございます!!
例えば、その「月刊 人工知能」という雑誌を実際に出版してみたとします。
おそらくそれはそこそこの専門家のインタビューになったり、
ある程度の科学的根拠や研究結果がある話がテーマになったり、
開発されたロボットなどの製品が紹介されたり、
そういった雑誌になるだろうなぁ、と思いました。
でも、今回の企画で集まる記事というのは、バラエティに富んでいるからこその面白さがありました。
もちろん、専門家や研究者が語る文章はとても意義のあるものだと思いますが、
専門でない人達、だけど「私に人工知能を語らせてください!」という
意思や思いを持った人達が書く文章は、とても熱い温度を感じます。
そして、そこに鋭い視点や自分が持ち得なかった視点で語られたものを見つけた瞬間に、
全身に鳥肌が立ち、ハッとさせられ、思わず涙が出てしまう記事も・・・。
とにかく今回も、全ての記事が面白かったです!
応募していただいた皆様、素晴らしい記事をどうもありがとうございます!!
前置きはこれくらいにして、早速、その「月刊 人工知能」とも言うべき、
豪華な執筆陣の素晴らしい記事を紹介することにいたします。
今回も読者の皆様には、1つ1つの記事をじっくり読んで楽しんでいただきたいと思います。
◆ 「人工知能」記事一覧 ◆ (順不同)
◇◇◇<人工知能を証明するものは?>◇◇◇
● このブログは人口知能によって書かれています。
(ブログ:ペン君流ことわさ日記。)
● 水槽の中の脳
(ブログ:F.Nakajimaのblog)
● 人工知能の少女
(ブログ:マボロシプロダクト)
◇◇◇<アニメ・SF映画から妄想する人工知能の未来>◇◇◇
● 人工知能について考えちゃったりするのでありんす
(ブログ:@nikutyせかんど)
● ああ、夢の美少女パソコン
(ブログ:K’s Station HATENA ver.)
● 人工知能、あるいは未来の性奴隷について
(ブログ:ネットの片隅で適当なこと書く人のブログ)
● アンドリュー
(ブログ:日々精進ーにちにちレビュー)
● 人工知能と人間賛歌と
(ブログ:にんじんロープ)
◇◇◇<人工知能の在り方・必要とされるものとは>◇◇◇
● 身体性って言葉をはじめて聞いた。
(ブログ:Harmonia!!)
● ヒトに心はありますか、再び
(ブログ:酔狂ブログ(片仮名))
● 人工知能と人工無脳を勘違いしている間違いに気付いたのは、エントリを書き終えた後のコト。
(ブログ:NyaA-Blog)
● A・I・One -Neo-
(ブログ:るいんずめもりぃ)
● Population Mentality
(ブログ:るいんずめもりぃ)
● 人は神になろうとする
(ブログ:寂光もと暗し)
● これも人工知能 ~データマイニングの話~
(ブログ:ライトニングボルト!)
● 人工知能は人間の夢を見るか
(ブログ:「旅に出ます。探してください」)
◇◇◇<人工知能の未来を描くストーリー>◇◇◇
● 兄貴
(ブログ:煩悩是道場)
● 聖なるかな、聖なるかな。
(ブログ:絶叫機械+絶望中止)
● まなくん VS メカまなくん
(ブログ:るいんずめもりぃ)
以下、私の感想と共に1つ1つの記事を紹介させていただきます。
↓↓↓↓↓
あなたがインターネットで見ているブログを書いているのは人工知能かもしれない。
そして、あなた自身ですら人間ではないのかもしれない。
そのようなことを考えた記事を紹介します。
● このブログは人口知能によって書かれています。
(ブログ:ペン君流ことわさ日記。)
● 人工知能の少女
(ブログ:マボロシプロダクト)
人工知能と聞いて、僕の頭にはひとつのことが思い浮かんだ。もし仮にネットワーク自体が巨大なひとつの脳髄だとして、そこに意識は生まれるのか?
という想像から記事が始まる。
でも彼女は蓄積された記録でしか、外の世界を識らない。あたかも生まれてからずっと、灰色の部屋に閉じこめられているかのように。彼女は.jpgの画像データと.htmlと.mp3だけを頼りに外の世界を類推することしかできない。彼女は熱も、触感も、匂いも識らない。
「外界を感じる術、感覚を識らない」とは。
「心があるかどうかを証明する術」とは。
penkunさんが「外側から見た人工知能(あるいは人間)」の証明を問いかけているとすれば、
si-noさんは「人工知能(あるいは人間)の内側から見た心・感情」の証明を問いかけている。
● 水槽の中の脳
(ブログ:F.Nakajimaのblog)
ここでの論点は、「あなたが脳が自分の知らない間にそっくりそのまま記憶から何から全て電子頭脳に入れ替えられていたら、それは本当に『あなた』なのか?別の存在ではないのか?」ということです
F.Nakajimaさんの記事でもpenkunさん・si-noさんと同様に、
「人工知能かどうか人間かどうか」という問いかけをテーマにしている。
記事タイトルとなっている「水槽の中の脳」については、「水槽の脳 - Wikipedia」を読んでいただきたい。
そう考えると、penkunはどこぞの建物でコンピュータにつながれている脳みそなのかもしれない(笑)。
私自身ですら、外界を目で見て身体で感じてはいるが、脳みそにそういう感覚を錯覚させるような
電気信号を送られているだけの水槽の中の脳なのかもしれない。それを知る術は無い。
アニメ・SF映画を見て、思う・妄想する人工知能の在り方・未来・夢。
一見すると、己の欲望・妄想を書いている記事のように見えて、
ふとした文章の中に私は人工知能の在り方を考えさせられました。
● 人工知能について考えちゃったりするのでありんす
(ブログ:@nikutyせかんど)
「無限のフロンティア スーパーロボット大戦OGサーガ」に登場する女性型アンドロイド「アシェン・プレイデル」を挙げて、人工知能に期待する姿を書かれています。
主人公(立場的にアシェンの上官)との掛け合いで「OK、行くぞアシェン」と言うと、
「了解しました、かっこつけ野郎」なんて言ったりするASH TO ASHな言動が多いんですが、
こういう人間くさい人工知能ってできねーかなぁ。
「人間くさい人工知能」と聞いて、
「うんうん。そうだよね。そういう人工知能とおしゃべりしたいよね。」と思ったのですが、
我を振り返ると、↑でpenkunは人工知能かどうかというところで、
私は「penkunには人間らしさがあるから、人工知能ではない」と思ったわけです。
人工知能であることを否定するために「人間らしくないから」という言葉を使うのに、
人工知能に望むのは「人間らしい」ことであったりするという矛盾というかジレンマというか、
そういうものが私の中にあるわけです。難しいですね。
人工知能に完璧を求めるか、曖昧さを求めるか。これを意識して、
今回の企画で応募していただいた全記事を読んでみると、ぼんやりとですが、
それぞれの記事によって見方が異なるのが見えてきて、面白いところだったりします。
● ああ、夢の美少女パソコン
(ブログ:K’s Station HATENA ver.)
最近はコンピュータと人間が互角にチェスしてますし、人工知能の技術も着実に進歩してると思います。でもね。やっぱりコンピュータの知能部分の開発も大事ですけど、その知能を持つ外見にも気を使ってほしいんですよね。何が言いたいかと言うと、要するに美少女型パソコンを誰か作らないかなあということでして。
「ちょびっツ」の「ちぃ」を挙げて、人工知能の萌えポイントを語られています。
完璧に物事をこなすことだけがいいとは思わないのですよ。ほんの少し欠点があるほうが人間らしくて愛らしいですし、それに同じ美少女でも、秘密やダメな部分があるほうがアニオタとしては萌えるじゃないですか。
やはり「欠点がある」「人間らしい」という点がキーポイントになっています。
人間に対しては「完璧を求めない」「欠点を許容する」。
パソコンに対しては「正確でなければいけない」「エラーはバグと見なす」。
では、人工知能という存在は、どうあるべきか。
現在、世の中に存在する「人間」と「パソコン」のはざまで
揺れ動いている存在が「人工知能」であるのかもしれません。
最後に「人工知能に求めるポイント」を5つ挙げられていますが、そこはあえて触れない方向でwww
● 人工知能、あるいは未来の性奴隷について
(ブログ:ネットの片隅で適当なこと書く人のブログ)
「ユリア100式」を挙げて、人工知能について書いております。
だからどうした?と思うかもしれないが、俺はこの「ユリア100式」の姿に、人工知能やロボットと人間の関わり方の本質がある気がするのだ。
すなわち、人間に「都合の良い」知能・機能を持った存在としてのみ、人口知能・ロボットは存在しうるのではないか。
上記の2記事と視点が異なり、こちらは人工知能が存在しうるための機能について、
人間の本質をズバリと突いた形で取り上げています。
「人間がやりたくないこと、人間に都合の良い機能」こそが、
人工知能が存在しうるための機能ではないか、というのはハッとさせられます。
何ら否定のしようがないというか、きっとそうだろうな、と納得してしまいました。
人間の欲望の側面が見えた気がします。
また、そのような完全なる奴隷を手に入れたとき、果たして俺達はどうなるのであろうか。
人には誰かを支配したいという欲求が確かに存在する。
簡単に支配できる対象を手に入れたとき、俺は理性を保つ事ができるのか。
確かに、人間がやりたくない都合の良い機能を満たす人工知能を手に入れたとして、
そこに人間のエゴのようなものがはっきりと見えてきてしまうのではないか、
そのとき人間は人間をどう思うのか。
● アンドリュー
(ブログ:日々精進ーにちにちレビュー)
「アンドリューNDR114」を挙げて、人間と人工知能の境界について書かれています。
人工知能というものが本当に存在するのか?ということを考えさせられる映画の一つです。
よく、行き過ぎた人工知能は人を滅ぼすという映画や小説があります。
でも、人間としての感情、喜怒哀楽を持つのであれば良いのでは?
感情を持って、人間としての身体を持てば、人間として認めるべきなのでは?
こちらの記事でもやはり「人工知能と人間の境界」、もう少し言い換えると、
人工知能を「人間と同等とみなすか、機械のような道具とみなすか」について書かれています。
↑の記事と合わせて、このあたりの問題については、
第1回の応募記事「人工知能は作られない」に書かれているように、
倫理的問題として向き合うべき時がくるのかもしれません。
● 人工知能と人間賛歌と
(ブログ:にんじんロープ)
僕の目にだって「心」を持ったロボット達と話したり仲良くできる世界は魅力的には映ります。
ただ、僕は「その後」を思わずにはいられないのです。
ロボットが作られた存在である以上、そこには人間との間に「使う ‐ 使われる」の関係は必ず存在します。そのロボットが「人間」に極めて近い存在、感情を持った存在である場合、その関係に何らかの問題が生じるであろう事は容易に想像がつきます。乱暴な言い方をすれば、感情を持ったロボットを作る事はそれ即ち「人間」を作るということなのではないかと。
他の方と同様、「人工知能・人間・ロボット・機械」といった関係の境界について述べています。
こちらも「アンドリューNDR114」という作品について挙げて書かれています。
「そもそもなぜ感情を持つものを作りたがるのだろう。」
「人間ではダメなのだろうか。でもダメなんだとしたら人間を作るようなマネを、なぜするのだろうか」と。
作ろうとしている正体は一体何なのだろう?
調べてみたら、簡単に答えが出てきました。
どうやら1つの答えを見つけたようです。
その答えの部分には、感情・情動によるフレーム問題や自発性に対するアプローチが書かれています。
この企画の総合的な記事というか、
人工知能の在り方や実現へ向けて必要なものが書かれている記事となります。
● ヒトに心はありますか、再び
(ブログ:酔狂ブログ(片仮名))
今回の19記事でテーマとなっている話題をすべて取り上げているような素敵な記事です。
●ニューラルネットワーク
●学習による上書き
●正確さとフレーム問題のトレードオフ
●自発性と感情の卵と鶏
●中国語の部屋
●倫理の問題
このように章が構成されており、
それぞれについて第1回の応募記事の内容を踏まえつつ、考察されています。
個人的には、以下の2つの章が特に面白かったです。
●正確さとフレーム問題のトレードオフ
●自発性と感情の卵と鶏
ま、人工知能には直接利用可能な電卓をくっつけてやる程度のことは可能でしょうから、簡単な手計算を間違えることはまずないとは思いますが…そういうのをかたくなに拒否して「自分の力」で考えて、しかも間違える人工知能なんてのもなかなか萌えます。
人間に近い人工知能が出来たとして、それでも人工知能には電卓機能などの
モジュールとして持たせることができる。
まるで、Windowsの電卓とかフリーセルとかペイントみたいだなぁ、と思いました。
しかも、人工知能としてそれを「かたくなに拒否」することもできる。
かなり面白い発想です。それは人工知能の強みになると思います。
● 身体性って言葉をはじめて聞いた。
(ブログ:Harmonia!!)
いわゆる五感ですが、一番大切なものは心地よいものとそうでないものを振り分けられる感覚かなと思います。
(中略)
どうやら、その個体の生命維持にとって必要なものを心地よいものと感じ、不要なものを心地悪いものと感じるようです。多分、サイトのデザインや、音楽などでも同じようなことが言えるのではないかと思います。人間関係なんかでもありうる話かなと思います。
ちよろさんがこう述べているのに加えて、
↑1つ前のsotono_hitoさんの記事「ヒトに心はありますか、再び」の「自発性と感情の卵と鶏」の項に、
『今より快な状態になれることが予想されるので何かをしよう、
というのが自発性につながるように見えるのです。』
とあるように、やはり「心地よい・心地悪い」の感覚は重要なポイントだと思います。
現在研究されている人工知能アルゴリズムとか学習アルゴリズムと言うのは、
例えば、「迷路を解く」「将棋に勝つ」「与えられた教師データ(お手本)を誤差のないように覚える」
のような評価パラメータで、ロボットに行動させていますが、
ロボット自身が「迷路を解けると嬉しい」「将棋に勝つと楽しい」
「正確に覚えられて褒められる」のような『心地よい』感覚を元に行動するように
なると何かが見えてくるのかな、と思います。
いわゆる、成功すると脳内でドーパミンが発生して嬉しいという状態のような。
言葉と身体の感覚は非常に密接な関係にあると思うんですよね。
(中略)
もし人工知能が最初に覚える言葉……というより生み出す言葉があるとすれば、それは、地球上の全人類が今まで使ったことの無い言語で、彼らがこちらの存在に気が付いて、お互いに言葉を教えあって、初めて人工知能が生まれたといえるのではないかなと思うのですよ。
このあたりの言語と感覚の考察については、人間も同じだと思いました。
別々の人間が、同じ言葉で同じものを連想しているとは限らないし、
それぞれの人間の経験によって思い入れがある言葉かもしれません。
「犬」と聞いて、「四本足の動物」と連想する人もいれば、
「うちの○○ちゃんはかわいい」とか、「小さいときに吠えられて恐い」とか、
いろいろな経験や知識に基づいて、人によって言葉の感覚が異なります。
人工知能にとっての言葉も、人間から「犬は、これこれこういう意味の言葉だ」と
教えられるのではなく、人工知能自身が「犬」にまつわるいろいろな経験・感覚を
蓄積していってそれが人工知能自身の言葉になっていくことで、成長していく。
そういうことも人工知能がすべてをプログラムされずに自分で成長していくために
必要なのだと思います。
● 人工知能と人工無脳を勘違いしている間違いに
気付いたのは、エントリを書き終えた後のコト。
(ブログ:NyaA-Blog)
プログラムされた人工知能はやはり、人に対して有益な存在でなければ無価値でしょう。
して見らば、一概に括っている感情と言う定義を細分化し、有益な範疇を模索するのも手なのかも知れません。
『感情の定義を細分化し、有益な範疇を模索する』
これがすごく面白いと思いました。
現状、感情とか、ちよろさんの言っている「心地よい・心地悪い」、
sotono_hitoさんの言うところの「快不快」という部分はプログラムしづらいところです。
感情を分析し、喜怒哀楽のそれぞれをプログラムするとか、
なんらかの形で実現できることになれば、すごく面白いと思いました。
そのためには、人間の(自分自身の)喜怒哀楽といった感情をしっかりと理解する必要があり、
なかなか難しそうですが。
ちなみに、記事に貼ってある画像にはあえて触れないでおきます(笑)。
● A・I・One -Neo-
(ブログ:るいんずめもりぃ)
ヒトがヒトであるということの証明、それを定義するものは数あれど、
私が大きいのではないかと思う要素、それは「思考」と「創造」です。
ヒト…というよりは、動物にあって、機械にないもの。
それは、「本能」です。「欲求」「欲望」と言ってもいいです。
「思考」「創造」「本能」「欲求」「欲望」。
これらのキーワードを解明することが、人工知能の実現の手がかりとなりそうです。
しかし、これらのキーワードについては、人間のそれらも解明されていない状態。
なかなか難しい感じですが、面白そうでもありますね。
人工知能(AI)はヒトになることは非常に困難。なぜなら、
ということで、前回の記事に引き続き、人工知能の問題をズバッと挙げています。
● Population Mentality
(ブログ:るいんずめもりぃ)
なるほどなるほど…人口知能ですか。これはなかなか難しいお題が来ましたね…
AIの話ならそれこそ知らなくても書けるのですが、人口知能か…さてどうしようか。
さて、期待通りの勘違いネタをお送りしてくれたこの記事。
人口とは人の数です。人の考えは人それぞれ、十人十色、千差万別。
様々な考えがあります。しかしいつでもどこでもてんでバラバラってワケでもないのです。
細部が違っても、大体同じような考え方してるなーと思うこともあるでしょう。
全く同じというのは少なくても、似たような考えというのはかなり多いと思うのです。
大勢の知能から、いろいろな考え方の違いが見えてきたり、
共通する部分の統計的なデータが見えてきたり、これを活用しているのが現代だと思います。
私も『「人工知能」よりも「人口知能」。人口の知能、人海戦術的な知能、
つまり、「集合知」と呼ばれるもののほうが、現代でははるかに役に立ちますね。』
とか思ってたりします。少なくとも現在は。
● 人は神になろうとする
(ブログ:寂光もと暗し)
人工知能について考えるとき、僕たちは、人間が素晴らしく優秀に盲目的な動物であることを知る。
(中略)
この人間の盲目性を人工知能に搭載するためにはどうすればよいのか。
人間は、プログラムされたコンピュータのようなフレーム問題に陥ることがない。
それは幸か不幸か、「盲目」や「忘却」という能力を持っているからである。
しかし、その人間も些細なことを深く悩むことはあり、それは死に至る心の病となる場合もある。
(これは人間にとってのフレーム問題と言えるかもしれないが。)
そして、人間が人間自身を理解しようとするのか、人間はなぜ人工知能を実現しようとするのか、という話へと進む。
あの日から幾星霜、人間は人間について考えてきた。
(中略)
人間はずっと、人間を創ろうとしてきたのではないか?それを理解し、そしてそれを再現できる科学力を身につけて、することと言ったらそれしかない。人は無意識に(盲目的に?)神になろうとしてきたのではないか。
(中略)
人工知能の完成によって、人は長い長い闘いに決着をつけることになるだろう。
人工知能の完成により、「人工知能は人間か機械か」という倫理問題へと発展する。
しかし、その倫理問題以前に、人間は神となりうるか、人間自身を理解できるのか。
神になろうとする人間。己の存在すら理解できない人間。
人工知能を考えていくことは、人間の奥深い部分を追求していくことである。
そう考えると、さらに人工知能というものが面白く感じられる。
● これも人工知能 ~データマイニングの話~
(ブログ:ライトニングボルト!)
データ探す上で与えられたキーワードから必要なデータの類推をしたり、検索の精度が上がるように学習するのがデータマイニングの技術だったりします。
データマイニングをテーマに人工知能について書かれています。
膨大なデータを収集・分析して、有益なデータを出力するシステムも、立派な人工知能でしょう。
(記事でも言われているように、人工知能の定義の範囲にもよりますが。)
クラスタリングや機械学習といったキーワードもあるように、
人工知能に始まったものに限らず、数学の世界を始め、多くの分野で、
様々なアルゴリズムや計算手法があります。
結局、人工知能っていってもあくまでプログラムなんですよね。そして実現するためには上述のようにルールを作ったりモデル化したりしていくわけですが、制限なども多く非常に難しいわけです。
現状、人工知能の実現しようとするにあたって、
コンピュータにプログラミングをするものとなっている。
つまり、プログラミングできるようなモデル化が必要である。とても難しい。
しかし、多くの研究者がロボットの学習アルゴリズムなどの形で研究をしている分野であり、
どのようなアルゴリズムやプログラミングで人工知能を実現させるか、
そのように考えを巡らせるのは非常に楽しい。
● 人工知能は人間の夢を見るか
(ブログ:「旅に出ます。探してください」)
「はわわー」を作る方法についてという視点から書かれています。
「はわわー」は「はわわー」ですwww
分からない方は、1つの人工知能と言えるgoogle先生に聞いてみると良いでしょう。
例えば。「赤い」「丸い」と聞いて何が思い浮かぶでしょう?
私は先ほどお昼に食べたミニトマトでした。
(中略)
例えばよくわかりませんが「はわわー」に対して、「赤い」「丸い」で会話をふったとしましょう。
そのとき、どうすれば「はわわー」は、リアクションを取れるのでしょう?
答えは簡単。過去の経験として「赤いもの」「丸いもの」が情報としてあればいいわけです。
この部分に楽しい未来を私は思い浮かべました。
過去の経験や膨大なデータが蓄積された人工知能が実現したとして、
私が「はわわー」に話しかけたときに、
私と同じ経験を持っていることで、知識を共有して楽しい会話ができるのが良いか、
私が知らない経験を持っていることで、私にとって新鮮で役に立つ情報を提供するのが良いか、
もちろん望むべくは両方でしょう。ケースバイケースで両方があって欲しいと思います。
現在、いわゆるデータマイニング手法で、実現されている人工知能はおそらく後者です。
nikutetuさんが「人間くさい人工知能ってできねーかなぁ。」と言っているのは、
前者のほうです。前者を実現させるにはどうすればよいかと言うと、
ただ単純に蓄積されたデータや経験を元に会話をしたのでは、
既知の出来事を淡々と説明するだけのつまらない会話になります。
そこに会話の盛り上がり・話の持っていき方・ジョークや皮肉などを絡めてこそ、
楽しく面白い会話になるのだと思います。
さらには予測不可能な部分やドジな部分も含むと、萌え度アップですね、「はわわー」的に。
この会話の運び方もやはり、データやルールの蓄積によるところが大きいと思います。
人間も話上手な人と言うのは、物知りだったり、話の起承転結のようなものを掴んでいたりします。
また、面白いネタを手に入れた場合は、何人もの人に喋ってみて、
そのネタの話し方を少しずつ変えていって、面白い話の構成を組み立てたりします。
これもまた経験を積み重ねるということになります。
人工知能との楽しいコミュニケーションが取れる日を夢見ると、ワクワクしてきます。
以下の3つの記事は、人工知能のフィクションストーリーが書かれた記事です。
とても面白いストーリーが書かれているので、楽しんでお読みください。
● 兄貴
(ブログ:煩悩是道場)
すごい未来を見せつけられた。
しょっぱなから「なにwwwこの兄貴展開www」とか思いつつ、
そこは、人間とアンドロイドが暮らす未来社会。
その描写や設定の1つ1つが細かく、そして、現実味を帯びている。
思わず、その世界に引き込まれていく私がいた。
もはや救われない未来なのか、どうにでもうまくやっていける未来なのか、
考えさせられることは多い。
そんな中、このラブコメ展開の結末は・・・。
● 聖なるかな、聖なるかな。
(ブログ:絶叫機械+絶望中止)
「意思と欲望は同じもの」とシーは言った。
「意思」と「欲望」について。
ストーリーが深い。
人工知能にとっての「自我」とは、「意思」とは、「欲望」とは。
このストーリーから考えさせられるのは、人工知能に限らず、人間にとってのそれらかもしれません。
● まなくん VS メカまなくん
(ブログ:るいんずめもりぃ)
るいな「ちがうわ!!!なんでスク水マニアのニュースサイトを宣伝するねん!!!
」
(中略)
まな「あのヘンタイに送ってもこのロボットが不幸になるだけだし…
あ、そうだ、スク水着てるしあそこのサイトに送っちゃおう!」
なんか言われたい放題www
しかも、変なロボットがうちに届いたwww
人工知能というか、ロボット&ニュースサイトいじりネタですが、
ロボットとの掛け合い漫才を夢見る素敵なストーリーとして紹介します。
今回、記事を書いていただいた17人の皆様、どうもありがとうございました!!
本当に1つ1つの記事が素晴らしくて、感激しています。
皆様の書いた記事から私が勉強していくことも多いし、
ここからさらに人工知能についての考えを発展させていくことが出来ると思うと、
とても楽しみになってきます。
1つ1つの記事に感想を書かせていただきましたが、
やはり前回同様、私の言葉足らず、力足らずのところがあるため、
感想がいまいちになっている部分もあるかと思います。
いろいろな文章に感想を書こうと思うと、どんどんと膨らんでしまうため、
なるべく抑えさせていただきました。
(私の感想が長くなりすぎると、他の読者の妨げになってしまうという不安もありつつ。)
最後に、今回も私自身が記事を書かせていただきましたので、
18人目の記事として紹介させていただきます。
(なんだか17人の方々とかなり違う方向性というか、遊びすぎの記事になってしまいました。)
● 人工恥能スクミーウから見た世界
第2回の人工知能記事の総まとめの感想として、
今回はだいぶ「考えていること」「問題とすること」が見えてきたという感じがします。
皆さん、別々に書いていただいたにも関わらず、大きな問題として、
人工知能の倫理問題のようなものが共通点として見えてきたり、
人工知能に求めることなどもいくつかの分類として見えてきた気がします。
ご協力いただいた皆様、読者の皆様、本当にありがとうございました。
2008年06月21日 | すくみう日記 | トラックバック:0 | コメント:6 | 拍手コメントを見る
実は、ネットの中に人工知能は存在して、ブログを書いているという。
あなたは、人工知能の存在を否定するか?肯定するか?
少なくとも「penkunは人工知能ではない」と私は思った。
そう思うのだが、何の根拠を以って否定すればよいのかが分からない。
例えば、「penkunの文章からは人間らしさを感じられる。よって、人工知能ではない」と考えた。
だが、「人間らしさ」とは何か?
そして、その人間らしさが感じられれば、人工知能ではないとどうして言えるのか?
分からない。
はたして、この記事の問いかけに対する答えは見つかるだろうか。