Thinking around from the webby point of view
2017年 ランク 鑑賞順 鑑賞日 評価 タイトル/原題 監督 製作年 製作国
1 21 2017/06/21 ★★★★★ 花様年華/In the Mood for Love ウォン・カーウァイ(王家衛) 2000年 中国香港
2 24 2017/06/26 ★★★★★ 恋する惑星/重慶森林 (Chungking Express) ウォン・カーウァイ(王家衛) 1994年 英領香港
2 25 2017/06/29 (2回目) ★★★★★ 恋する惑星/重慶森林 (Chungking Express) ウォン・カーウァイ(王家衛) 1994年 英領香港
3 15 2017/04/23 ★★★★★ 美女と野獣/Beauty and the Beast ビル・コンドン 2017年 米国
3 49 2017/12/24 (2回目) ★★★★★ 美女と野獣/Beauty and the Beast ビル・コンドン 2017年 米国
4 45 2017/12/23 ★★★★★ 女神の見えざる手/Miss Sloane ジョン・マッデン 2016年 フランス・米国
5 9 2017/03/20 ★★★★★ ミス・サイゴン:25周年記念公演 in ロンドン/Miss Saigon: 25th Anniversary Performance ブレット・サリバン 2016年 英国
6 8 2017/03/18 ★★★★★ お嬢さん/아가씨 (The Handmaiden) パク・チャヌク 2016年 韓国
7 22 2017/06/22 ★★★★★ ブエノスアイレス/春光乍洩 (Happy Together) ウォン・カーウァイ(王家衛) 1997年 英領香港
8 4 2017/02/26 ★★★★★ ラ・ラ・ランド/La La Land デミアン・チャゼル 2016年 米国
9 33 2017/09/29 ★★★★★ サーミの血/Sameblod (Sami Blood) アマンダ・ケンネル 2016年 スウェーデン・デンマーク・ノルウェー
10 1 2017/01/06 (3回目) ★★★★★ 君の名は。 新海誠 2016年 日本
11 31 2017/08/06 ★★★★☆ ブランカとギター弾き/ Blanka 長谷井宏紀 2015年 イタリア
12 12 2017/04/02 ★★★★☆ 牯嶺街少年殺人事件/牯嶺街少年殺人事件 (A Brighter Summer Day) エドワード・ヤン(楊徳昌) 1991年 台湾
13 19 2017/05/06 ★★★★☆ 台北ストーリー/青梅竹馬 (Taipei Story) エドワード・ヤン(楊徳昌) 1986年 台湾
14 46 2017/12/24 ★★★★☆ 否定と肯定/Denial ミック・ジャクソン 2016年 英国・米国
15 27 2017/07/16 ★★★★☆ 裁き/Court チャイタニヤ・タームハネー 2014年 インド
16 5 2017/03/05 ★★★★☆ 沈黙:サイレンス/Silence マーティン・スコセッシ 2016年 米国
17 41 2017/12/22 ★★★★☆ ありふれた悪事/보통사람 (Ordinary Person) キム・ボンハン 2017年 韓国
18 30 2017/07/30 ★★★★☆ ファウンダー:ハンバーガー帝国のヒミツ/The Founder ジョン・リー・ハンコック 2016年 米国
19 29 2017/07/22 ★★★★☆ ダンサー、セルゲイ・ポルーニン:世界一優雅な野獣/Dancer スティーブン・カンター 2016年 英国・米国
20 23 2017/06/25 ★★★★☆ 天使の涙/墮落天使 (Fallen Angels) ウォン・カーウァイ(王家衛) 1995年 英領香港
21 10 2017/03/31 ★★★★☆ ムーンライト/Moonlight バリー・ジェンキンス 2016年 米国
22 52 2017/12/31 ★★★★☆ 希望のかなた/Toivon tuolla puolen (The Other Side of Hope) アキ・カウリスマキ 2017年 フィンランド
23 16 2017/05/02 ★★★★☆ メットガラ:ドレスをまとった美術館/The First Monday in May アンドリュー・ロッシ 2016年 米国
24 14 2017/04/15 ★★★★☆ ぼくと魔法の言葉たち/Life Animated ロジャー・ロス・ウィリアムズ 2016年 米国
25 28 2017/07/16 ★★★★☆ 甘き人生/Fai bei sogni (Sweet Dreams) マルコ・ベロッキオ 2016年 イタリア
26 34 2017/10/21 ★★★★☆ 婚約者の友人/Frantz フランソワ・オゾン 2016年 フランス・ドイツ
27 36 2017/11/11 ★★★★☆ Ryuichi Sakamoto: CODA スティーブン・ノムラ・シブル 2017年 米国・日本
28 38 2017/11/23 ★★★★☆ Avicii: True Stories レバン・ツィクリシュビリ 2017年 スウェーデン
29 6 2017/03/11 ★★★★☆ ヨーヨー・マと旅するシルクロード/The Music of Strangers モーガン・ネヴィル 2015年 米国
30 47 2017/12/24 ★★★★☆ ダンシング・ベートーヴェン/Beethoven par Bejart (Dancing Beethoven) アランチャ・アギーレ 2016年 スイス・スペイン
31 7 2017/03/12 ★★★★☆ たかが世界の終わり/Juste la fin du monde (It's Only the End of World) グザヴィエ・ドラン 2016年 カナダ・フランス
32 17 2017/05/05 ★★★☆☆ エルミタージュ美術館:美を守る宮殿/Hermitage Revealed マージー・キンモンス 2014年 英国
33 39 2017/12/16 ★★★☆☆ 猫が教えてくれたこと/Kedi ジェイダ・トルン 2016年 米国
34 3 2017/02/25 ★★★☆☆ スノーデン/Snowden オリバー・ストーン 2016年 米国
35 20 2017/05/28 ★★★☆☆ マンチェスター・バイ・ザ・シー/Manchester by the Sea ケネス・ロナーガン 2016年 米国
36 26 2017/07/03 ★★★☆☆ ハクソー・リッジ/Hacksaw Ridge メル・ギブソン 2016年 米国
37 53 2017/12/31 ★★★☆☆ シネマ歌舞伎:一谷嫩軍記 熊谷陣屋 - 2011年 日本
38 43 2017/12/23 ★★★☆☆ シネマ歌舞伎:め組の喧嘩 - 2017年 日本
39 37 2017/11/12 ★★★☆☆ ザ・サークル/The Circle ジェームズ・ポンソルト 2017年 米国
40 44 2017/12/23 ★★★☆☆ ロダン:カミーユと永遠のアトリエ/Rodin ジャック・ドワイヨン 2017年 フランス
41 48 2017/12/24 ★★★☆☆ ヒトラーに屈しなかった国王/ Kongens nei (The King's Choice) エリック・ポッペ 2016年 ノルウェー
42 18 2017/05/05 ★★★☆☆ カフェ・ソサエティ/Café Society ウディ・アレン 2016年 米国
43 13 2017/04/08 ★★★☆☆ ゴースト・イン・ザ・シェル/Ghost in the Shell ルパート・サンダース 2017年 米国
44 51 2017/12/30 ★★★☆☆ アランフエスの麗しき日々/Les beaux jours d'Aranjuez (The Beautiful Days of Aranjuez) ヴィム・ヴェンダース 2016年 フランス・ドイツ・ポルトガル
45 11 2017/04/02 ★★☆☆☆ ジャッキー:ファーストレディ 最後の使命/Jackie パブロ・ラライン 2016年 米国
46 50 2017/12/30 ★★☆☆☆ ローマ法王になる日まで/Chiamatemi Francesco - Il Papa della gente (Call Me Francis) ダニエル・ルケッティ 2015年 イタリア
47 32 2017/09/02 ★★☆☆☆ 米軍(アメリカ)が最も恐れた男:その名は、カメジロー 佐古忠彦 2017年 日本
48 35 2017/10/29 ★★☆☆☆ ブレードランナー 2049/Blade Runner 2049 ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2017年 米国
49 2 2017/01/08 ★★☆☆☆ ローグ・ワン:スター・ウォーズ・ストーリー/Rogue One: A Star Wars Story ギャレス・エドワーズ 2016年 米国
50 42 2017/12/22 ★★☆☆☆ スター・ウォーズ:最後のジェダイ/ Star Wars: The Last Jedi ライアン・ジョンソン 2017年 米国
51 40 2017/12/20 ★☆☆☆☆ オリエント急行殺人事件/Murder on the Orient Express ケネス・ブラナー 2017年 米国
#01:(21本目)ウォン・カーウァイ『花様年華』(2000年 中国香港) ★★★★★
人生であと1本だけ映画を観てよい、という選択を迫られたら必ずこれを選ぶであろう作品が、渋谷でリバイバル上映されていることを知ってすぐさま都合をつけて観てきた。 『花様年華』(王家衛 監督作品, 2000年)は、これまでに幾度観たかわからないし、とにかくどこを切り出しても美しい映画。僕の香港への憧憬を決定づけたのもこの作品。クリストファー・ドイルの撮るこれでもかとオリエンタルな色合いを強調した映像も、西麻布テーゼでも決まって夜更けにかかる「夢二のテーマ」や、ナットキングコールによる「キサス、キサス、キサス」もどれも中毒性がある。
シーンごとに異なるチャイナドレスをまとったマギー・チャンも、細身のタイにスーツ姿のトニー・レオンが絵になりすぎているけれど、それ以上に1960年代の香港というのが第三の主人公で、この舞台設定があってこそ本作の匂いやかさというか艶めかしさが際立っているといえる。王家衛も、おそらく子供の頃の記憶を相当に美化し、晶化させて構築したにちがいない。
ハルキストの王家衛が描く男女の関係のストーリーも緻密だけれど(階段、扉、壁、電話など相手を見透かせない装置や記号を多用することで見る者に不断に想像力を働かせる)、すでにいろいろなところで語られているように香港の帰属というアイデンティティの問題がこの作品の裏テーマだ。その意味でも、「香港」そのものも本作の主人公といえる。
次作『2046』につながるルームナンバー付きの扉は本作で登場する。「2046」とはもちろんのこと、1997年から50年後の年号で、香港返還後もこの年までは「一国二制度」を維持するとされている年を暗示している。本作で、この扉が閉まる直前にチャン(マギー・チャン)の言い残す「一線は越えたくない」というセリフは、極めて多義的だ。
このあたりを考えると、チャンに部屋を貸すスエンさんという存在は何を意味しているのかは、検討するに値するテーマだと思う。チャンの「一線を越えない」ポリシーは、自分自身のものでもありつつ、スエンさんという外の目を気にしたものだからだ。しかしこのスエンさんも「香港の将来を気にして」(本人ではなく娘が、だけれど)米国に渡るわけで、このあたりでいったい何を表象しているのかがわかりにくくなって、答えはまだ出ていない。
一方、ずっと長いこと、ラストのアンコール・ワット寺院のシーンの冒頭でなぜニュース映像(ドゴール将軍のカンボジア訪問、1966年9月)がさほど短くなく挿入されているのかは不思議だったけれど、これも香港の中国の関係とを暗示させるカットなのだと理解できた。
トニー・レオンは同じリバイバル上映の別の回で『恋する惑星』(1995年)を観るとして、マギー・チャンはずっと若いときに出演している王家衛の『いますぐ抱きしめたい』(1988年)を見たくなる。
あと、失恋した者同士を人工的な精緻さで結びつけるストーリー仕立てという点では三島の『盗賊』なんかも読み返したい。(2017年6月21日 )
")
#02:(24・25本目)ウォン・カーウァイ『恋する惑星』(1994年 英領香港) ★★★★★
So much moooooved to watch my all-time favorite finally at a theater!!
ル・シネマの「ウォン・カーウァイ特集」で、ついに4作目の『恋する惑星』。今日は朝から頭の中でフェイ・ウォンの歌う「夢中人」がずっと流れていたけど、見終えたあとも鼓動が止まらない感じ。
幾度となく観たことのあるこの作品についてはいくらでも語れるけど、今日はむしろ映画館で見られたことの感動だけでいっぱいです。 (2017年6月26日(1回目) )
王家衛 作品の特集上映が終わってしまう前に、もう一度観ておきたかった『恋する惑星』のために午後半休を取った。
これだけ繰り返し観た作品であっても、見るたびに細かい発見がある。そして、大事な箇所を見落としていたことに気付かされる。たとえば;
警官663号(トニー・レオン)がデートに来ていくシャツはフェイ(フェイ・ウォン)が選んで買ってクローゼットに入れたものだし、
家にいることを見つかったフェイが最後に隠れていたのは663号の元カノ(周嘉玲)がよく隠れていたクローゼットだ。
この作品を構成する2つのエピソードは以下の共通するモティーフを用いていて、順番を前後させたりして語り方は変えているものの、基本的には同じ物語といえる。
内省的な(あるいは女々しい)男が失恋をし、別の女性に出会うことでその痛手を克服するboy meets girl型のストーリー。
男は一晩のうちに2人の女に振られる。
女は図らずも、男の横で眠りに落ちてしまう。男は女の靴を脱がせる。
間違いなく、王家衛は同じ物語を何度も何度も繰り返し語るタイプの作家だ。彼の頭の中には、このストーリーがずっと流れているのに違いない。
だからこそ、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』(2007年)もまた、『恋する惑星』と同じ物語なのだと僕は思っている。エリザベス(ノラ・ジョーンズ)の、NYを出てメンフィス、ネバダ、ラスベガスを経て再びNYへと戻る旅は、『恋する惑星』でスキップされているフェイの1年間の米国旅行だ。
2つの旅のいずれも、果てしない遠回りをして通りの反対側へと渡る話だ。
今回の特集上映の他の3作は、中国への返還直前直後の香港のアイデンティティを扱っていた。『恋する惑星』からは、一見するとそうした印象は受けない。
しかし、その根底にはあるに違いない。
たとえば、1つめのエピソードのラストシーンでのモウ(金城武)の独白(台湾育ちであるという設定のモウの独白は北京語だ)は、返還を間近に控えた香港の人々のメンタリティを映し出しているのかもしれない。
「我希望这一个罐头不会过期;如果一定要加一个日子的话,我希望是“一万年”(この記憶に期限がないといい。あっても、一万年ならいいけど)」
ここでは「一万年」を「永遠」に近いものとして見なしているが、それは阿片戦争の結果、英国による香港租借がそもそも「永遠」を意味すべく「99年」とされたということにも重ねて考えることができるようにも思う。
しかしそんな全てをさておき、幾度見てもラストシーンのフェイと警官を辞めた663号のやりとりはとてもとても甘い。やはりこの映画のクライマックスは、ラストシーンでのカウンター越しのトニー・レオンだ。(2017年6月29日(2回目) )
")
#03:(15・49本目)ビル・コンドン『美女と野獣』(2017年 米国) ★★★★★
日曜のレイトショーで『美女と野獣』。この週末はこの作品一択でしょくらいの絞り込み。
むかし音楽を書く真似事をしていた頃に聴き続けた作品のひとつだから、細かいオーケストレーションまでが頭の中で再現されて、指揮を振れるんじゃないかと思ったくらい。そんなこともあって、ストーリーばかりじゃなくいろんなものがよみがえって、涙が出続けました。
しかしエマ・ワトソン、きれいすぎる。笑顔がかわいすぎる。アニメーションのバージョンで曲が頭に入ってるから、最初のうちは歌い方の違いとか細かいことも気になってしまったけど、もう途中からは全然。女神でした。
そして、ガストンのクズさが半端じゃない描き方になってますが、村人が城に押し寄せるあのシーンはポピュリズムの恐ろしさをまざまざと見せる点で現代世界の問題ともとても通じていて、2017年の米国映画としても重要です。
そして、こんな言い回しを覚えました。
“Where did you get the idea like that?”(そんなこと誰が言ってた?)
“You think you could be happy here?”(幸せになれる?)
とにかく、エマ・ワトソンありがとう、な作品です。(2017年4月23日(1回目) )
名画座でまだ掛かっていることを知って、もう一回劇場で観ておくことのできた『美女と野獣』が今日の4本目。
学生の頃に作曲の真似事をしていた頃に、オリジナル・サウンドトラックをそれこそ繰り返し聴いていたから、なんだかどの歌も懐かしさが詰まっている。
とにかくエマ・ワトソン のベルが登場した瞬間からずっとかわいい。かわいさのクライマックスは、ビーストにライブラリに案内されて一人になった瞬間に声を上げるカットと、中盤の「Beauty and the Beast」のダンスのシーケンス。
そのダンスの直前のビーストの、自分の愛は受け入れてもらえないのではないかと懊悩するシーンはとても切なくなる。
とにかく同情の余地がないガストンの邪悪な描きぶり。アジテイターと、それに率いられて凶暴化する群衆の恐ろしさ(ル・フゥはそれにとても意識的だ)は、この作品が示すダークな側面でもある。ここで考えたいのは、その凶暴さは邪悪なアジテイターに先導されていたからだという弁明のみで、群衆を免罪することは果たして適当であるかどうかという問題だ。
まあ、とにかくエマ・ワトソンのかわいさです。冒頭、王子に呪いをかける魔女(アガット)は「見た目の美しさに騙されるな。美しさは内面に宿る」と言っていたはずが、エマ・ワトソン持ってこられると説得力がないというか、土台から崩れる感じがします。
ベルの老父の英語の台詞はわりと素敵な言い回しが多い。自分は村人が言うように変わっている(odd)のかと気にするベルに答える「誰がそんなこと言っている(Where did you get the idea like that?)」とか。
(2017年12月24日(2回目) )
#04:(45本目)ジョン・マッデン『女神の見えざる手』(2016年 フランス・米国) ★★★★★
本日3本目はもうすぐ公開終了になってしまう『女神の見えざる手』。とてもよくできたコンゲームの脚本。
冒頭、途中、終盤の3箇所で現れる主人公の台詞「ロビイングは予見すること(foresight)だ。…敵が切り札(trump card)を使った後に、自分の切り札を出す」は、あらゆる職業人にとって胸に刻みたい言葉。最後まで諦めずに起死回生を狙うためにも、プラスマイナスいずれもいかなるシナリオがありうるかを予見することが大事だと学べる。
仕事にやる気を向けてくれる映画です。
あと、議会公聴会やテレビ討論の場面が多いので、時折早口だったり難しい語も使われるものの、文法的に正確な英語が話されていて勉強にも役立ちます。(2017年12月23日 )
#05:(9本目)ブレット・サリバン『ミス・サイゴン:25周年記念公演 in ロンドン』(2016年/英国) ★★★★★
連休最終日の夜はミュージカル『ミス・サイゴン』25周年記念公演 in ロンドンの映画版。とにかく良かった。必見。
キム役のエバ・ノブルザダの無垢さと、歌唱力が圧倒的で泣かせてくれる。この公演が採録されたときはまだ18歳だったとかすごい。
キャストで言うと、ジョン役のヒュー・メイナードと「エンジニア」役のジョンジョン・ブリオネスが特にいい。両者とも自役の見せ場になる曲(前者は第二幕明けてすぐの『Bui Doi』、後者は『American Dream』)でその魅力が存分に出てるけど、ヒュー・メイナードはその歌唱力で、ジョンジョンは力の抜いたダンスや、役自体を楽しんで演じている感じが伝わってきていい。
ナイトクラブのシーンということで序曲を聞いた瞬間、『RENT』でミミが歌う「Out Tonight」を思い出して聴きたくなった。
本編のあとの25周年記念スペシャル・フィナーレがとても贅沢で、ザ・ショウビズな感じ。キム役オリジナルキャストのレア・サロンガの見せる笑顔がめちゃくちゃかわいい。(2017年3月20日 )
#06:(8本目)パク・チャヌク『お嬢さん』(2016年/韓国) ★★★★★
日本統治時代の韓国を舞台に、という前情報以外に何も知らずに観に行った映画『お嬢さん』が、濃厚な性描写を伴う凄い映画だった。
幾重にも騙し合いの続く筋書きは、コンゲームの傑作と言ってよいと思う。その筋書を、淫靡で倒錯したサディズム的な世界観と、その裏に見え隠れするまた淫靡な同性愛というテーマで料理している。
植民地支配の光と影といった問題提示は直接的にはこの映画でされないものの、(騙し合いの末の)支配からの自立というストーリーの背景として(被)支配下時代を選択したというのは、おそらくは明確な意図を持ってのことなのだろう。
ただ、そういった細かい歴史的な文脈の理解からは遠い西欧世界からは、オリエンタルでエキゾティックな世界観ということで楽しみやすいだろうし、作り手やマーケターはそういう意図も込めたのだろう。
ところどころに現れるコミカルな描写など、不要に感じた演出もところどころあったし、いきなり安っぽいセットになって興ざめするシークエンスが後半に合ったけれど、それを差し引いても文句なしに良い映画だった。
主演の2人の女優(キム・ミンヒとキム・テリ)がどちらも綺麗。(2017年3月18日 )
#07:(22本目)ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』(1997年/英領香港) ★★★★★
たたみかけるような形で、昨日に引き続きウォン・カーウァイ特集上映で『ブエノスアイレス』(1997年)。 この作品は『花様年華』(2000年)ほどの高い完成度までは到達していないものの、直前の『恋する惑星』(1995年)との間に位置する重要な作品。作風も短いモノローグを多用したりする点やカメラワークなど、前作に共通しているところが多い。
一方で、物語にアクセントを加えるチャン(チャン・チェン)がアルバイトで貯めた金で持って目指す「悲しみを捨てる」ことのできる灯台と、そのために吹き込むテープレコーダーへの独白(聞こえない)は、もちろんのこと、次作『花様年華』のアンコール・ワット寺院でのエンディングと重なる。
Google検索によれば「恋愛映画」とカテゴライズされている本作は、その実、恋愛映画の形を借りつつ、やはり香港のアイデンティティを扱った映画であろう。作中で第3の登場人物 チャンの灯台への到着をわざわざ「97年の1月」と述べていることにも現れている。ゆえに、本作は同性愛を主テーマとして描いた映画ですらない。
ラストに近いシーンでのファン(トニー・レオン)の独白によりアルゼンチンは香港から見た地球の裏側だと明かされる。これは説明的に語る必要があったに違いない。「香港の反対」という言葉には、仕事場のカネを使い込んだファンが逃げた「遠いところ」であると同時に、他方では「中国」をも意味したと想像できるからだ。ファンが仕事にありついたホテルに押し寄せるのが台湾からの観光客だというのも暗示的だ。民主化運動が活発になった結果、台湾の住民が大陸訪問を許されるようになったのは80年代後半以降のことだ。
ファンとチャンの移動の軌跡は、返還後の香港の在り方への動揺や思考の曲折の表現なのだろう。そう考えると、同じ華人による離別や混交を描くためにも、この作品が同性愛の物語という形を取らざるを得なかったであろうことにも合点がいくのだ。
劇中、ファンがウィン(レスリー・チャン)にタバコの火を与えるシーンの表現は素晴らしく良いと思った。電子タバコが一般的になったら、この表現も理解しにくくなるんだろうなあとか考えながら見ていた。
しかし、ウォン・カーウァイに撮らせると、香港でなくともそこが香港のように撮られてしまう。特に夜のシーンの黄色と赤の発色の強い感じ。これは本作のブエノスアイレスのシーンに限らず、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』(2007年)のメンフィスの夜のシーンなんかは、光の加減に加えてトラムの感じもそうで(しかも、この作品ではカメラはクリストファー・ドイルではないからウォン・カーウァイ自身の意志なのだと思う)、ウォン・カーウァイは舞台はどこであれ、香港の物語を撮ろうとしているのだろうなあと感じる。(2017年6月22日 )
#08:(4本目)デミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』(2016年/米国) ★★★★★
早速『LA LA LAND』をレイトショーで。
監督の前作『セッション』は劇場公開中に3度観に行ったので、事前の期待度が高いまま観に行った本作。いきなりアンサンブルキャストたっぷりのオープニングからキレキレで引き込まれた。
J.K.シモンズ、いいとこどり。
エマ・ストーンきれい。衣裳もかわいい。 『セッション』と同様、テンポよくカットをつなぐところ(主に俯瞰 ブツ撮り)も、逆に一連のシークエンスを長回しするようなところも、緩急のあるカメラワークがとてもよかった。
夢と引力の物語。満足。(2017年2月26日 )
#09:(33本目)アマンダ・ケンネル『サーミの血』(2016年/スウェーデン・デンマーク・ノルウェー) ★★★★★
9月末の金曜の仕事終わり、最終の回でひさびさのアップリンクで鑑賞。
スウェーデンの被差別民サーミ(ラップ人)に生まれた老女の回顧、もしくは老境のロードムービーといった感じ。
ストーリーテリングやカメラワークといったテクニカルな面は、何というかどこも教科書的で秀才感がするけれど、今年見たなかでは『クーリン街少年殺人事件』に並ぶくらいの良さ。
テーマゆえかもしれないけれど、アレハンドロ・イニャリトゥ作品がしばしば感じさせるような詩性がある。
あと、『花様年華』に流れる「夢二のテーマ」がそうであるように、チェロの低い擦弦音がとても情念的で深い。
見ながら考えていたのは「差別のあり方」と「環境を変えようとする意志の強さ」。 この作品は差別というものをとても多角的に描いている。
主人公エレ・マリャらサーミの少年少女が受けるスウェーデンの初等教育は、スウェーデン語を強制し、スウェーデンの臣民として教育する一方で、民族を同化させることはなく、見た目(衣装)にも不可視的部分(教育科目の多寡)にも区別を設けている。
高成績ゆえに進学を望むも制度の壁に阻まれるエレ・マリャが、差別者側/被差別者側のいずれにも属することのできない(赤坂憲雄的)「異人」と化すのは必然といえる。差別者側のシステムでのレールに乗ることを志す彼女は、自分の育った集団からは完全に浮く。
その一方で、この秀才の少女には差別が強く内面化されている。差別者から「臭い」と言われ続けた彼女が、自分の体臭を気にして、髪のにおいを嗅いだり、何度も体を洗うシーンが何度も出てくるが痛ましい描写だ。この内面化は、図らずも差別のシステムを強化している。
幾度と屈辱を味わいながらも苦境から脱しようとするエレ・マリャの姿は逞しい。
ラストシーンも、とても秀才的な画作りだけどとてもよかった。作り手は、きっとすごく勉強するタイプの人なんだろうな(と、勝手な想像)。 第3四半期(第39週)まで終えたけれど、8・9月はなかなか映画館に行けず、年初に立てた週1ペースからは6本のビハインド。2時間程度の娯楽の時間を捻り出せていないのは、多分にタイムマネジメントに課題がある。
第4四半期(多分年末)の巻き返しで数的には帳尻合わせの予定。(2017年9月29日 )
#10:(1本目)新海誠『君の名は。』(2016年/日本) ★★★★★
デトックスがしたくて、劇場で3度目の『君の名は。』 (2017年1月6日(2016年から通算3回目) )
#11:(31本目)長谷井宏紀『ブランカとギター弾き』(2015年/イタリア) ★★★★☆
日本人写真家#長谷井宏紀 がフィリピンで撮ったイタリア映画(ヴェネチア国際映画祭出資による作品)というところだけでも話題になっているらしい作品『#ブランカとギター弾き』が今週の日曜映画。
スラムに育つ孤児 ブランカはお金を貯めて母親を買うということを思い立ち、盲目のギター弾き ピーターと行動を共にする。
ストーリーも映像も、語り方の間合いも、とても詩的。
行動力のある少女 ブランカの強いさまも、(セリフには表れないけれど)母親を連れた子供を目で追ってしまう羨ましさも、どの表現もストレートで素晴らしい。
もちろんのこと、多くの日本の観客にとっては感情移入できるようなストーリーではないだろうけれど、それでもこの作品に普遍性があるとしたら、自ら考えて行動し、けっして弱さを見せない少女の姿だ。
つまるところ、弱さというものは外部環境や置かれた立場という所与の条件によって否応なしに決定されてしまうものではけっしてなく、そうしたものに対してファイティングポーズを取れるか否かで決まるものなのだ。
とても勇気をもらえる作品。
先週の『ファウンダー』とはまったく毛色は違うけれど、月曜日から頑張る気持ちにさせてくれる点では同じ効果を持つような、不思議な作品です。(2017年8月6日 )
#12:(12本目)エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』(1991年/台湾) ★★★★☆
今日2本目は、ずっと気になっていた『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』。エドワード・ヤン監督の1991年の作品を25年ぶりに4Kリストア、デジタルリマスターしたもの。完全版ということで、4時間の長さ。
国民党が台湾に移って樹立した政権下では初めての少年による殺人事件をモチーフにしたストーリー。思春期の少年の純粋性と衝動がテーマ。
長さは特に問題じゃなかったけれど、ところどころ登場人物がごっちゃになったり、人間関係を把握できてなかったり、中盤の大事な展開の帰結や意味を撮り損ねた気がするので、もう一回見てみたい。
見ながら「事実」というものきついても考えさせられた。もちろん政治家が “alternative fact” なんてことを言ってしまってはいけないのだけれど、個人レベルにおいては「代替的な現実=真実とは異なるかもしれないけど『現実』として受け取っておけばよいこと」というのは大事で、主人公・小四を最後の衝動に追い込んでしまったのは、その代替的な現実の綻びが原因だ。
複雑な環境の中で育った地頭の良い少年として背景設定されている小四のことだから、「代替的な現実」はそれとして、真実もおそらくは感じ取っていたのだと思う。あえて他人からその「真実」を口にされ、真実が真実として確定させられてしまったことは大きな苦しみをもたらしたに違いない。その意味で、端役であるが、小翠のおこないはとても罪深い。
たぶん2回か3回出てくるのだけれど、舗装もされていない土の道を戦車が列をなして通るシーンがあって、舞台となった1961年の台湾の社会や情勢に想像が膨らむ。プレスリーに少年少女たちが憧れているけれど、この時代はまだ大陸の中華人民共和国は正統性を持っていなくて、中華民国(台湾)が国連に加盟しているのみならず、安保理の常任理事国に名を連ねていたんだな、とか。(2017年4月2日 )
#13:(19本目)エドワード・ヤン『台北ストーリー』(1986年/台湾) ★★★★☆
本日公開のエドワード・ヤン監督『台北ストーリー』(1985年)。こちらの作品も、先月観た『牯嶺街少年殺人事件』(1991年)と同様に4Kデジタルリマスターされたもの。
学生になった頃にはすでに台湾ニューシネマの全盛期は遠く過ぎ去っていたので、台湾映画というのはなんとなく縁遠く、ちゃんと見覚えがあるのは今作で主演・共同脚本を担っているホウ・シャオシェンの『百年恋歌』とか『珈琲時光』あたりを何作品かだけ。
しかし、ここ最近続けてエドワード・ヤンの作品を見て(そもそも彼は生涯に長編作品を7本しか遺していない)、台湾映画の全盛期の荒削りな輝きとともに、アイデンティティの問題に立ち向かわざるを得なかった事情などがよく伝わってきた。
意外なことに『牯嶺街少年殺人事件』はこの作品よりも後(1991年)に公開されている。同作は、91年の公開時点から見たら30年前の事件を扱った作品だが、85年公開の本作は同時代の台北を扱っている。となると、主人公達は実際の演者とほぼ同年代ということであり、童顔のホウ・シャオシェンは例外としても、50年代半ば生まれの人々が30代に差し掛かったあたりの群像劇と考えられる。
彼らは、国共内戦を経て49年に中華民国が台湾に移転したあとに生まれた世代だ。親の世代は日本の統治も知っているし、大陸からの逃亡も経験している。混乱の時代に起きた高校生による同級生の殺人事件(牯嶺街少年殺人事件)も、小学生の頃にセンセーショナルに報道されていたのだろう。そして、キッシンジャーやニクソンによる米中関係の回復や国連の議席が台湾(中華民国)から中国へと移される71〜72年は、彼らの思春期に当たる。
翻って、舞台となる85年の台北には日本の影響が強く影を落としている。ヒロイン阿貞の妹・阿鈴や仲間たちの住む中山北路に面したビルの屋上からのカットがしばしば差し込まれるが、そこで印象的なのは言わずもがな富士フィルム(富士相紙)のネオン広告だ。横には旧いNEC(日本電氣)のロゴも見えるし、少し下を覗き込むと「…日語中心」と書かれた日本語学校の看板もたびたび映り込む。この時代の台湾は、日本(日本企業)にとって市場でもあり、労働資源の調達元でもあったのだろう。
あるいは、阿貞の嫉妬相手でもあるかつての同級生・阿娟(を演じる柯素雲がめちゃくちゃ綺麗)の詳しくは語られないけれど破綻した結婚関係の相手は小林という名の日本人だ。明示的には語られなくとも、登場人物たちの、そして同時代の台湾人たちの日本への感情はとても複雑だ。
米国で学問を修めた後に台湾へ戻ったエドワード・ヤンは、異質性をその作品の中で描くことが多かったというけど、2作品しか見ていないのでそれは何とも言えない。ただ、そこにつながる「アイデンティティ」というテーマから離れることはできなかったに違いない。阿貞から結婚やアメリカ移住を提案された主人公・阿隆(ホウ・シャオシェン)がどちらも「万能薬ではない(不是萬靈丹)」と言っているのも、すぐれてアイデンティティをめぐった議論だ。
よい映画を見たあとに感じる疲れを覚えました。なんとなくウォン・カーウァイの『旺角卡門(いますぐ抱きしめたい)』を観返したくなった。(2017年5月6日 )
#14:(46本目)ミック・ジャクソン『否定と肯定』(2016年/英国・米国) ★★★★☆
本日の1本目は、ホロコーストに関する研究者と否定論者との名誉毀損の法廷論争を映画化した『否定と肯定』。主演は、ウォン・カーウァイ『マイ・ブルーベリー・ナイツ』でアルコール中毒の警察官の元妻役を演じ、実生活ではダニエル・クレイグの奥さんでもあるレイチェル・ワイズ。
昨晩の『女神の見えざる手』に引き続きディベートをベースにした脚本なので、ずっと右脳を働かせながら見る感じが心地よい。
「ホロコーストはなかった」ということを訴えたいがために、反対論者を名誉毀損と言うかたちで法定に呼び出す老歴史家と、それに対してときに感情的にも反応していまいそうになる被告人のユダヤ人女性研究者と、彼女をサポートする熟練の弁護団。
レイチェル・ワイズ演じる研究者には「ホロコーストは存在した」ことをあらためて証明したいという焦りがあるが、そうではなく訴えられた点について緻密に論証をしていく戦略を貫く法律家たち。しかし法律家たちも、その論証を通じて結果的にホロコースト反対論に対する疑わしさをアピールしていくことになるのがとてもクール。 「最善の策だが、最大の効果をもたらさない策はとても厄介だ」
ポスト真実の世界に至った現代にとてもマッチしたテーマ。(2017年12月24日 )
#15:(27本目)チャイタニヤ・タームハネー『裁き』(2014年/インド) ★★★★☆
3連休、読まなくてはならない論文などを読みつつ、合間に立て続けに2本映画を見てきた。今年27・28本目。
ひとつめは、インド映画『裁き』。ある下水清掃人の死に関わったのではないかと疑われる下層カースト出身の民衆詩人(歌手)の老人の裁判過程をコミカルに描いた作品。
2014年の作品をこの時期に公開しているというのは、もちろんのこと、日本で成立した「共謀罪」に関する法整備(改正組織的犯罪処罰法)の問題に対する配給会社の姿勢によるものだろう。実際、本作の被告である詩人 カンブレは、おそらくは若い頃の政治活動のためにマークされているのか、たびたび逮捕されることになる。
この問題を脇に置くと、本作の描写でとりわけ強調されるのは、裁く者(判事)、告発する者(検事)、弁護する者(弁護士)のいずれも裁きの場を離れると、ごく一般な市民生活を送る存在だということで、しばしばそれは伝統的な地域コミュニティとも絡んでいる。
弁護士や女検事の私生活のカットもさることながら、ラストのいくつかのシーンはそれを特徴づけている。休廷が宣言されると人が去り、電気が消される場面では、この「裁きの場」は人々が集まり一時的に生まれた場であることを思わされるし(つまり、「制度」というものは自明のものではない)、エンドロールに音楽が流れず、ずっと鳥のさえずりなどの自然音が使われているのは、この映画のストーリーが日常の延長にあることを示唆している。
後知恵では、この作品の登場人物の姓はそれぞれインドにおける階級を表したものになっているらしい。本作では(外国人にとっては)階級差別の問題が明示的に語られているわけではないが、これを理解しているとより立体的に本作を読み解けるのかもしれない。
また、法廷や一般生活の場面ではマラーティー語が使われている。英語やヒンディー語に対するマラーティー語の文化がインドの中でいかに位置づけられているのかという点も興味深い。(2017年7月16日 )
#16:(5本目)マーティン・スコセッシ『沈黙:サイレンス』(2016年/米国) ★★★★☆
3時間に及ぶ上映ということで心して観に行ったけれど、長さを感じさせない濃度。
遠藤周作『沈黙』は、中学生の時分に一回きり読んだことがあるけれど、果たして読んだ頃にこのテーマを理解できたのだろうか。
神の沈黙、信仰、人間の心の強さと弱さ。あるいはそれを外から働きかけて「変える」ということ。
小説の結末を覚えていないのだけれど、映画の幕切れでロドリゴに十字架を懐かせたのは、監督なりの救いの求め方だったのだろうか。
最後に観たスコセッシ作品が前作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(これも長い作品で、こちらは観ている間に長いなぁと感じた)だったので、落差がすごい。
エンドクレジットの裏で蝉しぐれと波の音が響く中、この映画では、お囃子や聖歌のように劇中の登場人物が奏でるもの以外の劇伴音楽が無かったことに後から気づく。沈黙、の演出。(2017年3月5日 )
#17:(41本目)キム・ボンハン『ありふれた悪事』(2017年/韓国) ★★★★☆
金曜夜の1本目は、今年の41本目(目標まで残り12本)。今日が公開最終日の韓国映画『ありふれた悪事』。かなりいいサスペンス映画だった。
舞台は1987年春、全斗煥政権下のソウル。大統領直接選挙へと至ることになる「6月民主抗争(6월항쟁)」の引き金となった学生拷問致死事件に着想を得たフィクション。ストーリーをかなり複数絡ませながら、わかりにくさは感じさせない、とてもよくできた脚本だった。
邦題とは異なり、原題は『普通の人(보통사람)』。脚本中では拷問によって殺害された社会派新聞記者の口から発せられる単語であるものの、この記者のことではなく、悪事に加担させられて翻弄されることになる刑事こそが「普通の人」– 正義感を理解する心は持ちながらも、生活に悩みも抱えていて、それゆえに誘惑に弱い、いたって普通の人であることが含意されている。
87年という時代設定のため、光化門周辺が映る1シーンでは、門の後ろに解体される前の旧朝鮮総督府庁舎(87年当時は国立中央博物館)が見えた。
巨悪たる国家安全企画部室長を演じるチャン・ヒョクの「ザ・韓流のムカつくやつ」っていう役回りの演技がとてもいい。
最終日に見ておいてよかった一作。
ということで、これからMX4DでSWの金夜2本目。(2017年12月22日 )
#18:(30本目)ジョン・リー・ハンコック『ファウンダー:ハンバーガー帝国のヒミツ』(2016年/米国) ★★★★☆
7月最後の映画は、昨日公開の『ファウンダー #ハンバーガー帝国のヒミツ』。マクドナルドをフランチャイズ化して巨大企業にしたレイ・クロックの物語。
日曜の夜に観るべき映画には2つのタイプがある。週末の終わりを静かに閉じるためのダウナー系の映画がひとつ、もう一方は翌日からの新しい週に意識を向けるために戦意を高揚させるようなアッパー系の映画だ。『ファウンダー』は圧倒的に後者の作品。
いかに欲しいものを手に入れるか、そのためには手段を厭わずに目標に邁進できるか。
マイケル・キートンが演じるレイが創業者のマクドナルド兄弟に向かって放つセリフにある。
「ライバルが溺れていたら、口にホースを突っ込む。君たちにそれができるか(If my competitor were drowning, I’d walk over and put a hose right in his mouth. Can you say the same?)」
仕事は戦いだ。そして、そこに必要なものは「根気(persistence)」だ。
タイトルの「ファウンダー(創業者)」は、マクドナルド兄弟からレイが簒奪した肩書き。原題は定冠詞のついた『The Founder』だが、こちらの方がより限定的で凄みがある。
休日を締めくくるのに良い映画を見ることのできた日曜の夜。(2017年7月30日 )
#19:(29本目)スティーブン・カンター『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン:世界一優雅な野獣』(2016年/英国・米国) ★★★★☆
先月、Bunkamura ル・シネマでやっていた王家衛 特集上映の際にさんざん予告編で見て気になっていた作品。ウクライナ出身の天才で、破天荒なバレエダンサー #セルゲイポルーニン のBBCによるドキュメンタリー『#ダンサー、セルゲイ・ポルーニン #世界一優雅な野獣 』。 自分の才能を意識しつつ、それでもさらに他人より努力をして頂きを目指すポルーニンのストイックな姿勢に背筋が伸びる。
また、ウクライナ南部の片田舎でひとり息子の才能にいち早く気付き、自らの夫と母を海外に出稼ぎに出してまで教育資金を確保した母 ガリーナの凄まじさ。すばやく機会を捉え、リソースを適切に配分し、それをやり切る姿勢は、まさに経営者が必要とするそれに等しい。
ポルーニンのドラマは、貧しさの中で家族の幸せを願い、背負ってスターダムを上った天才が後ろを振り返ったときに家族の崩壊を知る絶望だ。それでも「必要ならば同じことをもう一度やる」と言えるガリーナの強さ。
終盤の『Take Me to Church』に合わせた踊りは圧巻。
プレッシャーをしっかりと意識して、前を、そして上を向いて強く進もうと思わせてくれる。『ソーシャルネットワーク』(D. フィンチャー)、『セッション』(D. チャゼル)と並んで、意識を引き上げるときに観る映画としてリストに加えようと思った作品。(2017年7月22日 )
#20:(23本目)ウォン・カーウァイ『天使の涙』(1995年/英領香港) ★★★★☆
Bunkamura ル・シネマでアンコール上映されているウォン・カーウァイ特集の3作目。
元々は『メット・ガラ』に関連しての特集上映だったということだけれど(このドキュメンタリーが背景を記録する2015年のメトロポリタン美術館の企画展「鏡の中の中国」の映像をウォン・カーウァイが担当している)、『恋する惑星』『天使の涙』『ブエノスアイレス』『花様年華』という1994年から2000年にかけての諸作品をまとめた上映は、香港の中国返還から20周年という年の企画としても正しい印象を受ける。
『天使の涙』は、『恋する惑星』系統の恋愛とバイオレンスの描写とがミックスされたウォン・カーウァイ的でもあり、混淆的な香港を切り取ろうとした世界観の映画。テーマは、幾度となく登場するワードである「パートナー」。このパートナーという二者間関係の綻びや、築くことの困難を描いた作品。
恋愛映画として見ている中、後半になると、金城武が演じるモウに何度も絡まれる役としてコミカルさをこの作品に与えている陳輝虹(英語版Wikipediaでは役を “Man forced to eat ice cream” と表現されているのが面白い)の家族が本土に行ったと語られるなど、アイデンティティに関する問題は本作にも出てくる。そう考えて注意してみると、モウの人物設定からして台湾からの移住者であって、『ブエノスアイレス』と同様の思考が本作でもされていたのかもしれない。
モウが女エージェント(ミッシェル・リー)をバイクに乗せてクロスハーバートンネルを走る映画のラストシーンでの女の独白「すぐに着いて降りるのは分かってたけど 今のこの暖かさは永遠だった(”…and I know I’ll be getting off soon. But at this moment I’m feeling such lovely warmth.”)」というセリフはとても象徴的。返還直前の香港の人たちのメンタリティを重ねた言葉であったのだろうなあとか想像しながら見た。直後のエンドロールにかぶさる「Only You」がとても感傷的です。
ミッシェル・リーがとても綺麗。
日曜の夜の最終回の映画は好きです。(2017年6月25日 )
#21:(10本目)バリー・ジェンキンス『ムーンライト』(2016年/米国) ★★★★☆
3月の終わり。今日はナタリー・ポートマンの『ジャッキー』も公開初日なので迷ったけれど、同じく公開初日の『ムーンライト』を観ることにした。
暗示的なシークェンスを多用するものの、無駄にまだるっこしいカットがない映画。それゆえ、物語が扱う時間経過の長さの割にはサクサクと進むけれど、エッセンスを凝縮して繋いだよう。そういう意味で、物語の強度がとても詩的。
物語の中程でテレサが放つ「愛と自信」がテーマ。そして、強さと弱さが描かれている。「弱さ」なんてあっさりと言い切れたものじゃないな。心の中の弱ってる部分、弱いままで残された部分をグサッとするような感じ。
あと、愛情を表す行動を、その「丁寧さ」で暗示している。終盤、レストランに入る前、車を降りる「ブラック」=シャローンの一連の仕草や、ケヴィンの料理する手元を映したシーケンスは泣けるところ。
役者としては、シャローンの子供時代=「リトル」を演じる子役の子はとてもいい演技をしていると思った。『ハウス・オブ・カード』でロビイストのレミー・ダントン役を演じたマハーシャラ・アリは、この作品でアカデミー助演男優賞を受賞したんですね。この映画で名前を覚えました。
音響の使い方もとてもわかりやすい表現で、それもこの作品を簡素にまとめるのに寄与しています。
何となく、宮本輝の短篇「泥の河」を読みたくなったのと、ジャケ写の光がPink Floydのアルバム『The Other Side of the Moon』を思い起こさせました。
LGBTやpovertyを扱った映画ではあるけど、メッセージ性を盛り込もうとしているわけではなく、ただただドラマであり、詩です。観た者が何かを考えさせられるとしたら、それはこの作品の詩としての強度によるものだと思います。
(2017年3月31日 )
#22:(52本目)アキ・カウリスマキ『希望のかなた』(2017年/フィンランド) ★★★★☆
大晦日の1本目は渋谷のユーロスペースでかかっているフィンランド映画『希望のかなた』。中東からの難民受け入れという欧州のコンテンポラリーな問題を、ところどころコミカルなシーンを交えて描いた作品。
静かなカメラワークに、登場人物に必要以上の会話をさせず、むしろモノのアップや人の動作のカットで多くを語るミニマルな感じは、(しばらく観ていないから記憶違いもあるけれど)昔好きだったクシシュトフ・キェシロフスキの映画を思い起こさせた。
そのうえ、音楽も必要以上には流れず、路上や飲食店のバンドなどの生演奏や、ジュークボックス、ラジオから流れる音楽を除くとBGMはない。それゆえ、逆に、ところどころで登場する歌は意味を持つように感じられて、意識が向けられる。
このように基本的に静かな作品の中で、淡々と滑稽なものを畳み掛けてくる中段での演出はとてもシュール。
欧州に広がる極右主義についても触れつつ、草の根の、そしてルールからは外れているにはせよ基本的には善意によってマイノリティへ助けの手を差し伸べる一般市民たちのあたたかさが描かれている。年末に見るのに良い作品。(2017年12月31日 )
#23:(16本目)アンドリュー・ロッシ『メットガラ:ドレスをまとった美術館』(2016年/米国) ★★★★☆
カレンダー通りに出勤したあと、気になっていた『メット・ガラ:ドレスをまとった美術館』を観た。メトロポリタン美術館の2015年の企画展「鏡の中の中国(China: Through the Looking Glass)」とファッションイベント「メットガラ」の舞台裏を追ったドキュメンタリー。
題材となった企画展は、「中国」というテーマにいかにファッションがインスパイアされてきたのかという展示だったようだけれど、このfilterされ、exaggerateされたChinese tasteは本当に好物。
そして、その趣味はある程度普遍的なものだという裏付けに登場するのは、同展でも映像を担ったというウォン・カーウァイパイセン。映画中にも時折カットが挿入されていたけど、『花様年華』でのマギー・チャンのチャイナドレス姿は本当に綺麗。いつかウィンシャの撮った同作のスチルのオリジナルプリントが欲しい。
『プラダを着た悪魔』 アナ・ウィンターの迫力がかっこよかったのと、リアーナがきれいでした。(2017年5月2日 )
#24:(14本目)ロジャー・ロス・ウィリアムズ『ぼくと魔法の言葉たち』(2016年/米国) ★★★★☆
少し前に、たぶんここシネスイッチでヨーヨー・マの映画を観た際にトレイラーを目にしたのだと思うんだけれど、そのときにとても気になった『ぼくと魔法の言葉たち』を観た。
3歳のときに自閉症の症状が現れた23歳の青年、オーウェンとその家族のドキュメンタリー。家族たちは、ディズニー映画を観るときのオーウェンはいつもと違うこと、そして、あるときをきっかけに彼がディズニー映画のセリフのひとつひとつをすべて暗記していることを知り、ディズニー映画のセリフを使えば会話をすることができることに気付く。
オーウェンは、周りの世界の複雑さ・わかりにくさを、ディズニー映画のキャラクターたちの誇張され、わかりやすくデフォルメされた表情・感情をフレームワークとして理解しようとしていたのだ。
しかし、大人になるにつれて、将来・恋愛・性の問題などディズニー映画の提示してくれる枠組みだけでは解決できないことにぶつかる。ディズニーのヒロインは、けっして舌を絡め合うキスなどしない。オーウェンは、ディズニー映画から派生させて、自分の物語を紡ぐことで前に進んでいく。
オーウェンを理解し、見守り、そして自立させていこうとする家族の苦悩や愛情にとても胸を打たれる。もちろん、彼は同じような症状を持つ子たちと比べて格段に恵まれた環境にいるのかもしれない。それでも、家族のつながりの深さというものをあらためて考えさせられる。
自分たちがいなくなった後も、ひとりで生きていけるように、この子に挫折や失敗を経験させなければいけない、いまならそれもできるはずだ、という両親の息子に対する信頼がとても心を打った。
ディズニー映画のフッテージをふんだんに使っている点がすごいのと、ところどころに挿入されるベルギーのアニメーション制作会社マックガフによるオーウェン原作「Land of the Lost Sidekick」が素晴らしい出来。(2017年4月15日 )
#25:(28本目)マルコ・ベロッキオ『甘き人生』(2016年/イタリア) ★★★★☆
本日2本目も、同じく渋谷のユーロスペースで公開中の巨匠ベロッキオによる『甘き人生』。 ストーリーは、心の中で涙を流し続けた結果、乾いた心を持つようになってしまった男の物語。ヴァレリオ・マスタンドレアが演じる主人公は、幼い時に突然母親を亡くしたというジャーナリスト。イタリアでベストセラーとなった自伝小説の映画化だということらしい。
途中、とても長く感じてしまう部分があるものの、後半の畳み掛ける感じに圧倒されたので★4つ。
人との隔絶感、信じること(信じられないこと)、愛すること、といったテーマを考えさせられる作品。
そして、この作品の豊かさは隠喩的な表現の多さ。数々のシーンの意味していたところを、最後になって理解をさせられるという構成は素晴らしいと思う。
ヒロイン エリーザ役のベレニス・ベジョがとても美しい。ドレスを着た姿のパーティでの彼女には見とれてしまいます。(2017年7月16日 )
#26:(34本目)フランソワ・オゾン『婚約者の友人/』(2016年/フランス・ドイツ) ★★★★☆
本日から公開のフランソワ・オゾン監督作品『婚約者の友人』を夜の回で。
悲しみや喪失の物語。巧みなストーリーテリングで、一度失われたものはなかなか他のもので埋めることはできないということを描いている。
1919年、第一次大戦終結直後のドイツとフランスが舞台。婚約者が戦死して悲しみの日々を送るドイツ女性のもとに、生前パリで知り合ったというフランス人の青年が訪れる。
ストーリーを離れたところで、戦争が終結したばかりの隣国同士の憎しみ合いという舞台背景は、とてもアクチュアルで、そしてそう感じさせるほどに普遍的な問題なのだろうと感じた。
私たちも日々感じているように、隣国同士というものは、利害が対立したり、しばしばその結果として勝/敗、支配/非支配といった立場の違いが両者の隔たりをさらに広くしたり、また憎しみを強めたりする。
それらは、集団としては仕方のないことなのだけれど、個人の間はまた違う関係があるはずだと思っている。だからこそ、利害対立の部分以外の、文化や生活習慣の面を取り上げて見下したり、面白がるような態度は最もよくない。
息子の命を奪ったフランスを毛嫌いする父 ハンスが次第にフランス人の青年に心を開いていく姿はとても印象的だ。彼は、個人の悲しみが集団の犠牲であって、ドイツの父親たちが息子たちを失ったのと同様に、フランスの父親たちも息子を失ったことに気づいたのである。
そして、懸隔を縮める理解を促すのは文化の尊重であり、言語だ。ひさびさに中国語や韓国語を復習したいと思った。(2017年10月21日 )
#27:(36本目)スティーブン・ノムラ・シブル『Ryuichi Sakamoto: CODA』(2017年/米国・日本) ★★★★☆
すでに今年も46週目になるのにまだ35本しか映画を見ていないので、年始に目標にした1週1本ペースから大きくビハインド。
2本ハシゴして観ることにした土曜夜の1本目。
高校の時分のアイドルでありヒーローであった坂本龍一教授のドキュメンタリーフィルム。ガン闘病を経た現在のインタビューと、過去のさまざまなアーカイブ映像などで構成された贅沢な作品。
正直言って、彼のレフト寄りな思考や行動はナイーブに過ぎてまったく好きになれないけれど、そのナイーブさから生み出される音楽には昔から変わらず虜にされる。
しかし、本作を鑑賞してあらためて思い知らされたのは、坂本龍一という人物が結局のところすぐれて「20世紀的」な人物なんだなということだった。
知性としては80年代ニューアカ的、感性としては社会へのアンガージュマンもありつつ、一方で歴史に裏打ちされた幻想と自分との関わり・距離感を意識しているという点でロマンティックで、つまり総じてナイーブ。
音楽の変遷としても、西洋的な伝統音楽から電子音楽、東洋への憧憬を経て、バッハ的なもの(本作中のインタビューで自身が「『人間的な自然』だけれど自然ではない」と言っているもの)と自然音に回帰してその両端に振れている。
それらのすべてが、まるで戯画のように20世紀的だ。森の中で鳥の声に耳を澄ます教授の姿は、まるで鳥類学者でもあったオリヴィエ・メシアンを意識的/無意識的になぞろうとしているかのようにすら見えた。
とはいえ、そんな彼の音楽を愛してやまないのは変わらない。
本作中で取り上げられたアーカイブ映像の中では、映画『ラストエンペラー』のメイキング映像が含まれていたのが嬉しかった。
北京、大連、長春を「役者」として連れられながら、ベルトルッチ監督にいきなり求められて劇伴音楽を作るところが記録されている。
上映館 角川シネマ有楽町が客入れの際のBGMにオペラ『LIFE』(1999年)の終曲「Libera me」を使っていたのもセンスが良くて好感。そしてその『LIFE』の終曲に関して、浅田彰との対談で教授は「バッハには時代を超えた強さがあって、いま自分が書くレクイエムも結果的にはバッハ的なものに近くなってしまう」と言っていたけれど、本作中の最後のコラールもまさにその延長にあるようで、そんな点からも、やはり20世紀末の時点でこの人は完成されていたのだというように感じた。(2017年11月11日 )
#28:(38本目)レバン・ツィクリシュビリ『Avicii: True Stories』(2017年/スウェーデン) ★★★★☆
今日明日の2日間限定上映の『Avicii True Stories』。さまざまな過去のインタビュー映像や、記録映像によって構成されたドキュメンタリー。ツアー先での入院時の病院での映像などもあり、生々しかった。
映画による神格化、という感じ。そういう点では『セルゲイ・ポルーニン:世界一優雅な野獣』に似ている。若くして急に引退をした天才という題材のとり方もそうだ。
スターダムを登り始めた21歳、ストックホルムでのパフォーマンス直後のバックステージで、インタビューに答えるティムの内省的な感じに驚いたけれど、彼の曲の歌詞に通底する内省的・客観的・達観的な印象の本質が表れていたのかもしれない。 「若くして成功したDJの達成感」のような言葉をいまパフォーマンスを終えたばかりの演者から引き出したい女性インタビュアー。それに答える若者は、半ばはにかみながらも「成功したって言葉にするのが愚かなことのように感じる」といったことを話す。
ここには、まだまだ満足をしていないという野心家の側面と、外形的に評価されることに対して疑問を持つ達観者の側面が見て取れるように感じた。
むろん、この映画には仕事にとりかかると止めることのできないプロフェッショナルの姿も記録されている。自家用ジェットのタラップを降りながらも、Macbookを開いてる姿は、商業的にも印象的だ。
イビサでの最後のパフォーマンスの映像は、「Silhouette」から「Dear Boy」が懐かしくて涙が出そうになった。欲を言うならもっと音量を上げて上映してくれてもよかったと思う。(2017年11月23日 )
#29:(6本目)モーガン・ネヴィル『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』(2015年/米国) ★★★★☆
久々にシネスイッチで映画を観た気がする。前回観にきたのが何であったか、思い出せないくらい。
ヨーヨー・マの主催する『シルクロードプロジェクト』に参加する世界各地、様々なバックグラウンドの音楽家を追うドキュメンタリー。中国出身の琵琶奏者、イランの伝統弦楽器奏者、シリア出身のクラリネット奏者、スペイン ガルシア地方出身のバグパイプ奏者などなど。
伝統音楽を重んじる人たちからの反発・非難に会いつつも、異文化と接することで文化的アイデンティティを確かめ、新しい創造をしていこうとする姿や、彼らの背景に根差す様々な悲劇をよく描いている。
音楽にせよ、言語にせよ、相手と同じ「言葉」で語ってみるということの重要性や、その姿勢を見ることのできる作品。(2017年3月11日 )
#30:(47本目)アランチャ・アギーレ『ダンシング・ベートーヴェン』(2016年/スイス・スペイン) ★★★★☆
本日の2本目は昨日から公開の『ダンシング・ベートーヴェン』。故モーリス・ベジャールの振付によるバレエ作品 ベートーヴェン『交響曲第九番』公演の舞台裏をインタビューや練習風景などで構成する。
インタビューに驚かされるのは、演者や関わる制作者(振付、音楽、舞台芸術など)たちがみな深く抽象的な思索をしている点。その点、インタビューに応じていた東京バレエ団の振付師は感覚的で稚拙な言葉しか持っていなくて、とても残念な感じだった。
作中に出てきた「ベートーヴェンは第九を作曲した当時、すでに聴力を失っていた」「それでは、ベジャールの第九は音楽を見るための試みといえるのでは」というやりとり、ラストにインタビュワーの独白で引用されるベジャールの「希望はつねに勝利である」という言葉がとても印象的だった。(2017年12月24日 )
#31:(17本目)グザヴィエ・ドラン『たかが世界の終わり』(2016年/カナダ・フランス) ★★★★☆
コミュニケーションの近さと隔たりという普遍的なテーマを取り上げつつ、おそらくは近年顕在化しつつある社会の「分断」をも描こうという意図があったのであろう作品。胸苦しい。
マリオン・コティヤールの喋るくぐもったフランス語が耳に心地よい。そして、『007 スペクター』のボンドガールだったレア・セドゥーに気付けなかった。(2017年3月12日 )
#32:(17本目)マージー・キンモンス『エルミタージュ美術館:美を守る宮殿』(2014年/英国) ★★★☆☆
前回の『メットガラ』に引き続いて有楽町のヒューマントラストシネマにて『エルミタージュ美術館:美を守る宮殿』。ミュージアム関連の映画として2作ともまとめてGWに見ておきたかったもの。
エルミタージュはいつか行きたい美術館。ソクーロフが館内で長回しした『エルミタージュ幻想』も有名だけど、今作は館長や学芸員などの関係者へのインタビューなどをもとに構成した紹介ドキュメンタリーといった感じ。個人的には、語りが多すぎて、もっと映像だけで見せても良いのではとも思ったけれど、進むうちにインタビューの内容も興味深かった。
主人公と言ってもよい館長は、父親も館長という出身。共産主義国における学者という特権階級のあり方について気になりもした。
エルミタージュの長い歴史は、革命や戦争を潜り抜けた戦火の歴史でもある。レニングラード包囲線を経験した高齢の老婆のインタビューが交えられているのはとてもよかった。当事者ゆえの、あるいは時間の経過がもたらすバイアスを排除するためのディスカウントは必要とはいえ、オーラルヒストリーはとても大事だ。
展示作品に現代芸術も多いことに結構びっくりしたけれど、確かにすでにロマノフ朝の時代は遥か昔で、その後のソ連、ロシア共和国が芸術作品を集めたのであれば納得。
それにしても、芸術作品の鑑賞って年齢によって変わるもんだなということにも改めて気づいた。制作者(芸術家)が年を経るごとに作風を変えていくのと同様に、鑑賞者の側も年を経て、またさまざまなものを見る経験を経て、好みが変わったり拡張される。ピカソやカンディンスキーなんて、好きになったのはいつ頃からだっけなとか考えた。(2017年5月5日 )
#33:(39本目)ジェイダ・トルン『猫が教えてくれたこと』(2016年/米国) ★★★☆☆
今年の39本目。週1ペースから大きくビハインド気味なので、年末までにあと13、4本映画館に観に行かないと年初の目標が未達に終わるわけで、つまりはほぼ毎日見に行く必要がある計算。
イスタンブールの猫をフィーチャーしながら、イスタンブールの街や住人たちの模様を描き出したドキュメンタリー。
個性豊かな猫たちとイスタンブールの市民たちが、互いを尊重し合いながら、どこかでお互いに寄りかかり合って生活しているさまが微笑ましい。猫の求めに応じて漁師や魚屋が魚を投げ与えたりする風景は、野良猫には餌を与えるなっていうのよりも、どこか数等豊かに見えた。
しばしば挿まれる空撮によるイスタンブールの風景も綺麗。2013年の夏の終わりに訪れたイスタンブール、夜中のスルタンアフメット広場で野良猫と遊んだのを思い出した。もう少し治安が良くなったらまた行きたい。
猫が足元にまとわりついて体重をかけてくるときの、あの心地よさを思い出して気持ちが温かくなった。
YouTubeの有料サービス「YouTube Red」のオリジナル作品とのこと。(2017年12月16日 )
#34:(3本目)オリバー・ストーン『スノーデン』(2016年/米国) ★★★☆☆
観たいと思っていたけど、公開から約1か月、人気が薄いのかすでに上映館も回数もかなり少なくなってしまっていたので今のうちに観ておいたオリバー・ストーン監督作品『スノーデン』。
観る直前に読んだ『Newsweek』日本版の書評記事に書かれた「ストーンは…ロマンスにはあまり関心がないようで」という感想はあまり当たらず、充分 love と trust をテーマとしたロマンスとして観ることもできる作品だと思った。(2017年2月25日 )
#35:(20本目)ケネス・ロナーガン『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016年/米国) ★★★☆☆
しばらく立て込んでいたのでGW以来の映画館。数ヶ月前に、いいらしいよと勧められていたのを思い出して見に行った作品『マンチェスター・バイ・ザ・シー』。 連日の寝不足と、最初の方のわけのわからなさ(登場人物の人間関係や、彼らの背負う背景は最初はなかなかわからず、次第にインサートされるカットで明かされていく)のため、最初の方に10分くらい居眠りしてしまったものの、だんだんと引き込まれた。
最初のうちは、一体この作品は何を描きたくて撮ったのだろうとポカーンとしていたけれど、それも次第に見えてきます。
過去の傷から、同じところをぐるぐる回ってばかりで抜け出せない人の葛藤というのかな。それがとても胸苦しい作品。
ただ、そんな主人公リー(ケイシー・アフレック)に救いをもたらすためか、元妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)に後半で語らせるシーンはちょっと違う気がした。結局「許す女/謝る女」という男目線でのストーリー構築になってしまっているような気がしました。(2017年5月28日 )
#36:(26本目)メル・ギブソン『ハクソー・リッジ』(2016年/米国) ★★★☆☆
7月に入って最初の映画。日曜の最終回で見た『ハクソー・リッジ』。 最近アンドリュー・ガーフィールドをよく見るようになったと思う。『ソーシャル・ネットワーク』でマーク・ザッカーバーグと一緒にThe Facebookを共同創業したエドゥアルド・サヴェリン役のイメージが強いけれど、『沈黙』にも出ていたし。『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンと付き合ってるのかー。
キリスト教徒としてのメル・ギブソンの監督作品。「良心的兵役拒否者」ながら衛生兵として活躍したデズモンド・ドスのことを描いた作品。
信仰と個人の信念から武器を持てない兵士という矛盾的な人物を借りて描こうとしたのは、戦場という極限状態においても、そして、その生存が他の兵士の銃に守られたものであろうと、信仰や信念は強いものだということだろう。
戦場の描写はかなりエグい。そして、こんな激しい戦闘の結果として得た沖縄という要所を米軍が離れるということはないだろうなという気がした。
日本兵の描き方はかなりステレオタイプ。もったいぶった形で切腹シーンを含めているあたりからも、メル・ギブソンは差別主義者なんだろうなあという印象を持った。
前半でしか出演しないヒロイン ドロシー役のテリーサ・パーマーはきれいでかわいいんだけれど、10年くらい前のスカーレット・ヨハンソンから匂い立つようなエロさを省いた感じ、という形容するといいんだか悪いんだかわからないようになってしまった。(2017年7月3日 )
#37:(53本目)『シネマ歌舞伎:一谷嫩軍記 熊谷陣屋』(2017年/日本) ★★★☆☆
年初目標の53本目で今年の映画納めの作品は松竹のシネマ歌舞伎で『熊谷陣屋』。2011年4月の公演。
いくつも伏線の張られたストーリーはかなり巧みだし(本編前のインタビューで、主演の中村吉右衛門も並木宗輔の脚本のよさについて言及している)、人間国宝の吉右衛門をはじめとした名優たちの見得がふんだんに配されているのも贅沢で、さらに主演が話の筋に合わせて裃から鎧、墨染へと衣装を替えていくのも見もの。
来年は舞台を見に行くようにしたいと思った。(2017年12月31日 )
#38:(43本目)『シネマ歌舞伎:め組の喧嘩』(2017年/日本) ★★★☆☆
本日3本見る予定の1本目は、東劇のシネマ歌舞伎シリーズ第29弾『め組の喧嘩』。亡くなる直前、2012年5月の十八代目中村勘三郎の平成中村座での公演を収録したもの。
喧嘩に出合うめ組の組合衆が花道を駆けるのは迫力があるし、有名なラストの炊出し喜三郎の仲裁も堂に入ってるし、なにより映像化しておくことで亡くなった名役者の公演を見ることができるってのはすごいなと思った。(2017年12月23日 )
#39:(37本目)ジェームズ・ポンソルト『ザ・サークル』(2017年/米国) ★★★☆☆
土曜夜の2本目は、『美女と野獣』以来今年2本目のエマ・ワトソンパイセンが出ている金曜公開の本作。
ソーシャルメディアの浸透と興隆を、エクストリームな想定を通じて風刺している作品。
おもしろいっちゃおもしろいけど、シナリオ想定の方向性としてはありきたりな感じがする。
でも、エマ・ワトソンがただただかわいいのと、そもそもソーシャルメディアにセルフィーを上げないというポリシーのエマパイセンにこの役をやらせている、って点が面白いなと思った。
原作は、2014年の年末に、確か同じく平積みになっていた『人と企業はどこで間違えるのか?』と一緒に買ったままこちらは1ページも読まずに積読になってる。結構分厚いんだけれど、2時間弱の映画でまとめきれる内容ならわざわざ読まなくていいかな、と思った。
同じテーマだと、平野啓一郎の『ドーン』(2009年)の方が面白い気がする。あらゆるところにカメラが設置されて、顔や行動が記録されてしまうような世界を背景として設計するなかで、それに対抗するようなムーブメントについても想定している点などで、より一層ありえそうなリアリティが検討されているように思う。(2017年11月12日 )
>#40:(44本目)ジャック・ドワイヨン『ロダン:カミーユと永遠のアトリエ/Rodin』(2017年/フランス) ★★★☆☆
今日の2作品目は、作品の最後のキャプションでも「近代彫刻の祖」と説明されるオーギュスト・ロダンを扱った『ロダン:カミーユと永遠のアトリエ』。
副題ではとりわけカミーユ(弟子)との関係が取り上げられているけれど、作品の主要なテーマは、40歳を迎えてようやく評価されるようになった天才彫刻家と、才能溢れるものの評価されない若き弟子でありかつ愛人と、長年内縁関係にある凡庸な女の3者を中心にめぐる愛欲と、それぞれの苦悩、といった感じ。
ロダンが、カミーユに向かって言った台詞は、最近少し炎上気味だった広告業界の大物をめぐるパワハラの構図にも似ている気がした。 「なぜ私に噛みつくか自覚しているか。世間に認められていないからだ。そして私は認められている」
創造性は必ずしも承認欲求や自己顕示欲と同じところに根ざしているものではないのだろうけれど、それらの異なったものがひとりのパーソナリティの中に共存することが多いということなんだろうな。
人物を撮影するときの構図やお互いの距離感がとてもよく考えられている印象でした。(2017年12月23日 )
#41:(48本目)エリック・ポッペ『ヒトラーに屈しなかった国王』(2016年/ノルウェー) ★★★☆☆
今日の3本目はナチスドイツに侵攻された1940年4月のノルウェーの政治・外交を描いたドラマ『#ヒトラーに屈しなかった国王』。 ドイツ軍が陸戦でも北上を進めてからのラスト45分くらいは目が離せないけれど、その前まではところどころ眠くなる退屈なシーンも多い。
いくつか気になった点。
ドイツ公使との会談後の国王の決断について、作品ラストのキャプションでは「国政に介入してまでの国王の決断は、主権国家ノルウェーの民主主義の象徴として記憶される」みたいなことが書かれていたけど、「主権国家の象徴」ならわかるけど「民主主義の象徴」とは言えないんじゃないかと思う。
当時のヨーロッパをめぐる情勢はよくわからないし、まだ米国も静観している頃のことでもあり、そしてこの作品で描かれている交渉劇はわずか3日間のことなんだけれど、それでもノルウェーはここで対独の2国間交渉というフレームのみでの検討になってしまってる時点で、良くなかったんじゃないかと思う(他に巻き込みうる他国がいるかどうかは調べないと)。逆に言うと、ドイツは最初に衝撃を与えて電撃的に2国間で話を固めるというのが戦略だったってことなんだろうな。
準主役のドイツ公使の人間的葛藤というサブテーマもこの作品にはある。良心はありつつ、力関係では軍に劣り、ヒトラーに対しては隷従せざるを得ない小市民として、ブロイアー公使という人物はよく描けている。(2017年12月24日 )
#42:(18本目)ウディ・アレン『カフェ・ソサエティ』(2016年/米国) ★★★☆☆
今日2本目の映画はウディ・アレン監督作品『カフェ・ソサエティ』。本日公開初日。
ウディ・アレン作品は『ミッドナイト・イン・パリ』以来だから5年ぶりくらいだけど、相変わらずのウディ・アレンぷりというか、それに輪をかけて主演が『ソーシャルネットワーク』でザッカーバーグ役を演じたジェシー・アイゼンバーグだったこともあって、半端なく童貞感の強い映画になっていました。おしゃれに描いてますが童貞映画です。ウディ・アレン平常運転という感じ。
ウディ・アレン作品はコミカルでライトでおもしろいんだけれど、とにかく男にとって都合が良いストーリー展開は、村上春樹的でもあり、(裏返しの)王家衛的でもある。あり得た自分を思ってパラレルワールドを描くか、葬送を行うか、それとも再び交差させるか。
Time passes, life moves on, people change.
Dreams are dreams.
ふたりのヴェロニカ(クリステン・スチュワートとブレイク・ライブリー)のどちらも綺麗で、目の保養になる映画でした。(2017年5月5日 )
#43:(13本目)ルパート・サンダース『ゴースト・イン・ザ・シェル』(2017年/米国) ★★★☆☆
楽しみにしていた実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』がようやく公開になったので早速。
観ながらAR(拡張現実)やVR(仮想現実)がインプリされた世界は、未来というよりも、現在から地続きの近いところにあるなあとか、そのなかでいかに感覚・認識がジャックされたり、あるいはバグを防いだり許容したりするのかというのは、結構アクチュアルな問題となってきているのかもしれないなとか考えさせられた。
ストーリー構成はところどころ改変されているにはせよ、『#攻殻機動隊』好きの方にとってはアニメ版のオマージュにあふれた象徴的なカットもふんだんに盛り込まれていて楽しめるし、(ネタバレですが)#川井憲次 によるテーマソングも歌われるのも満足です。「吾が舞えば」から始まるあの歌は本当にゾクゾクする。
アニメ版やリメイク版『トータル・リコール』のような#アジアンゴシック 調の世界観も魅力的だし、#スカヨハ の非現実的な美しさってその現実離れした感じゆえにSFにマッチしてるのかなあとか、
(というか、同じくスカヨハの出ていた2005年作品のマイケル・ベイ『アイランド』の自体設定は2019年なんですが、それはあまりに攻め過ぎじゃないすかね)
舞台設定や音楽の東洋感は、そういえばかつて東浩紀が「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」(だったか「情報自由論」だったか)で語っていたように(たしか)、欧米の作家にとっての地理的な隔たりによって時間軸的な隔たりを表現している結果なのかなとか、
いずれにせよ、20年以上を経てもいまなお想像力や創作の源泉になっている『攻殻機動隊』ってすごいなとか、
そんなことを思いながら退館の列を並んでいると、やはり一人で観に来ていた友人に会うなどして、そこから1時間ほど近未来について語らせてくれることなども含め、本作に感謝です。(2017年4月8日 )
#44:(51本目)ヴィム・ヴェンダース『アランフエスの麗しき日々』(2016年/フランス・ドイツ・ポルトガル) ★★★☆☆
今日の2本目は巨匠ヴィム・ヴェンダース による『アランフエスの麗しき日々』。朗読調の男女の会話を主として織りなされる会話劇。
タイプライターに向かって創作をする作家(この作品世界の中ではメタな存在)は、目の前の窓の外に広がる、ラベンダーやバラが花盛りの庭のテーブルの左右に座る男女を夢想し、性愛や官能について語らせる。
学生の頃の自分だったら、背伸びしてこういう映画をおしゃれで好きになってたと思うけど、男女の語る内容は詩的に過ぎて、するすると空疎に頭から抜けていってしまう。映画という映像メディアを用いながら、まるであえてその視覚を用いずに表現しようとしているかのようだ。
この夢想の花園は作家の頭の中に広がっている。しかし、時折その外界に現実が姿を覗かせる。この庭は現代世界から隔絶されているかのようだが、双眼鏡で遠くを眺めると高層ビルが見えるし、飛行機の音も聞こえる。
結果的には、この映画では会話劇の会話が重要なわけではないのかもしれない。原作には登場しないという「作家」が今作の主人公のように登場するのは、この作品世界と現実世界とのギャップに苦しむ、懐古的な作家の姿を描き出したかったのかもしれない。
そう考えると、本作のテーマは、創作の在り方や想像力とは、ある様式がずっと続くわけではなく、常に移ろいゆくものだということのようにも思う。(2017年12月30日 )
#45:(11本目)パブロ・ラライン『ジャッキー:ファーストレディ 最後の使命』(2016年/米国) ★★☆☆☆
ナタリー・ポートマン見たさに足を運んだ『ジャッキー』でしたが、ナタリー・ポートマンパイセンの美しさと、知性溢れる演技以外に何を見て、何を受け取ればいいのか謎な映画でした。
エンドクレジットに “”Dialect Coach(方言指導)”” とあったけど、フランス系の家に育ったジャクリーンが特に興奮気味のときに出てくるフランス語訛りの英語を、ナタリー・ポートマンがうまく操ってた。
ファーストレディのファッション提供については、”Special thanks to CHANEL”。
たびたび眠くなりました。最近よく眠れないなって方にはおすすめです。(2017年4月2日 )
#46:(50本目)ダニエル・ルケッティ『ローマ法王になる日まで』(2015年/イタリア) ★★☆☆☆
ラスト4本の仕上げということで、今日の1本目は見ようと思って見逃していたけど、名画座で上映されていると知った『ローマ法王になる日まで』。
現教皇フランシスコの半生を描いたものだけれど、期待外れな作品でした。
アルゼンチンの現代史の知識がないと、独裁政権と、圧政に抗する民衆や武装組織と教会組織という関係は、表層的には想像できるものの、それぞれのつながりは示唆的にしか示されないので、理解がしっかり追いつく前にどんどんストーリーが進んでしまう印象。ざっくり言うと眠くなりやすい。
そして、民衆に寄り添うベルゴリオ神父(のちこ教皇フランシスコ)もスーパーマンではなく、民衆は弾圧されたり、暗殺されていく。この無力で人間的で、そしてそれゆえに苦悩を持つことになるさまを描き出そうとした意図があるのだろうけど、それにしてもあまりに残念な感じ。
そのため、「行動者」ではなく「心から祈る」(序盤のシーンと、後段にそれぞれ出てくる)人として描かれていて、結局はある程度うまく日和見していいキャリアパスに乗った人というように窺えて、それはそれで職業人としてひとつのモデルではあるけど、物足りない。(2017年12月30日 )
#47:(32本目)佐古忠彦『米軍(アメリカ)が最も恐れた男:その名は、カメジロー』(2017年/日本) ★★☆☆☆
8月はなかなか映画を見る時間を作れなかったのでだいぶ間が開いて今年32本目。ユーロスペースに来るたびにトレイラーで見て気になっていた『米軍が最も恐れた男:その名はカメジロー』。沖縄の政治家 瀬長亀次郎の対米施政権の活動を追ったドキュメンタリー。
彼自身の演説(音源の残らないものは大杉漣が朗読)やインタビュー映像の語りぶり、そしてそれに今なお魅了されている高齢の沖縄の人々の思い出語りを見ると、いかに瀬長という人物が魅力的であったかが伝わってくるわけだが、一方で、見ながら自分自身が「これは警戒しなくてはいけないやつだ!」というセンサーが働くようなアジテーターという印象。
そういう側面から、レーニンや毛沢東ってどういう人だったんだろうという興味が惹起されました。
他方、こうした「国土」の問題では、沖縄の人々と本土の人々とであまりに温度感が違うし、それゆえにそこに対する意識や知識が違うということを思い知らされる。
作品の冒頭近くで触れられる「天皇メッセージ」(1947年9月)は、どうやら沖縄の地方紙ではしばしば取り上げられるらしいのだけれど、私にとっては初めて知るものだった。日本国憲法が施行(1947年5月)されて「象徴」となった後の天皇陛下の政治発言はどこまで公式のものなのかというのは疑問が残る。
本作品はTBS製作のテレビ番組を拡大したもの。瀬長の活動の記録を共産党との関わりにほとんど触れずに描いたTBSの意図がどこにあるのかということも気になる。(2017年9月2日 )
#48:(35本目)ドゥニ・ヴィルヌーヴ『ブレードランナー 2049』(2017年/米国) ★★☆☆☆
金曜から公開のドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督作品『ブレードランナー 2049』を土曜深夜の回、MX4D上映で鑑賞。金曜夕方に飲んでいるときに、2名の方から「今週末に見る」と聞いたことに触発されて。
前作は10年ほど前に一度見たくらい。でも、なんとなく、今回もよく出てきた黄色い色調に水面にゆらゆら光が反射するのは、なんとなく記憶がある。
アジアンゴシックな世界観も、近未来の技術描写もおもしろい。そういう点では、やっぱりSFは未来構想のための糧だなあと思った。
ハリソン・フォードがかなり老けてたから、「あれっ、ハリソン・フォードだよね?え、合ってる?」みたいな感覚を覚えながら見ました。ジョイ役のアナ・デ・アルマスがめちゃくちゃきれいで好きになってしまう。
3時間弱はちょっと長いかなー。原作読み返してみよう。(2017年10月29日 )
#49:(2本目)ギャレス・エドワーズ『ローグ・ワン:スター・ウォーズ・ストーリー』(2016年/米国) ★★☆☆☆
ようやくレイトショーで見ることのできた『ローグ・ワン』。ビールのせいか、ストーリーの中だるみのせいか、途中だいぶ眠くなりつつ、ラスト30分くらいは惹きつけられっぱなしでした。
相変わらずだけれど、帝国側はあらゆるもののプロダクトデザインが行けてる。しかし、残念ながらそれは「機能美」的なシンプルさから、さらに機能を欠如させた仕上がりになってる。じゃなきゃ、デススターにあんな致命的欠陥はないし、あの見た目はちゃんと装甲仕様なのにすぐ倒されるストーム・トルーパーは何なんでしょうか。
そういや、ビーチリゾートというかラグーンらしいビーチが出てきたのってシリーズ初めてですかね。エンドクレジットを見ていたらモルディブロケがあったよう。
同じくエンドロール見てたら、割と最初の方に「Accounting」という欄で、幾人もの会計士が並んでて、まあそりゃそうだよなと思った。
しかし、反乱軍側の装備やら設備も相当なものなんですが、あれはどのようにファイナンスしてるのかな。
盲目のチアルートのカンフーアクションとかが出てくるあたりは、ここ最近の映画界の中国マーケットへの配慮というか意識が強く感じられました。
やっぱりベイダー卿パイセンはかっこいい。
とはいえ、パルパティーンとナタリー・ポートマンのいないスター・ウォーズは、夏休みのない八月のよう。
現場からは以上となります。(2017年1月8日 )
#50:(42本目)ライアン・ジョンソン『スター・ウォーズ:最後のジェダイ』(2017年/米国) ★★☆☆☆
年末の金曜夜にハシゴ映画で今年の42本目。
深夜の回ではチケット取れたMX4D上映の『最後のジェダイ』。『オリエント急行殺人事件』から引き続いてデイジー・リドリーさん、今週2回目。
結論から申し上げると、途中ずっと眠いなど、結構残念でした。
エピソード7のときはあまり期待しすぎないようにして行ったらすごくよかったんだけど、今作は、この一週間で観た人たちの賛否両論は知りつつ、多分それでも自分のなかでは楽しみにしてたようで完全逆効果。
事前の復習を怠ったのでかなりエピソード7の内容が抜けてたからってのも多分にあるけど、そんなことを抜いてもストーリーテリングが上手くなかったように思う。
それにしてもシリーズ通じていつもの感想ですが、ダークサイド(帝国、ファーストオーダー)勢のプロダクトデザインはプロパガンダからかとても洗練されていて好きなんだけれど、毎回毎回単一障害点突かれて致命傷ってパターンを繰り返していて学んでいなくて、たぶん開発体制に問題ある。
現場からは以上となります。(2017年12月22日 )
#51:(40本目)ケネス・ブラナー『オリエント急行殺人事件』(2017年/米国) ★☆☆☆☆
忘年会だらけの週に飲まなくていい日ができたのて、遅くまで仕事をしたあとで深夜の映画館。40本目。
シェイクスピアの人、というイメージのケネス・ブラナーによる『オリエント急行殺人事件』は、残念ながら今年見た中では指折りのがっかり作品。かなりの豪華な俳優たちが競演しているのに、どこも心を動かされなかったのは、時代がかった大げさな台詞回しのせいなのか、CGばっかりのところに気を取られてかわからないけど、とにかく仕上がりは仕上がり。
予告篇の合間に流れた「Miss Dior」の広告に出ているナタリー・ポートマンの美しさ(作品外)と、御年83になる『007』M役のジュディ・デンチの迫力(かろうじて作品内)というのが今晩の感想です。(2017年12月20日 )
Leave a Reply