2008-05-15(Thu)
「光州5.18」
鎮魂歌というものは、多くの場合 魂を鎮めることはない。
鎮めても鎮めきれない魂を伝えるためにある歌 と言ったほうが良いのかもしれない。
「光州5.18」は、1971年生まれの監督によって撮られた。
当時9才のキム・ジフン監督がこれを撮り、28年たった今、韓国では大ヒットしているという事実が、この映画が鎮魂歌であることを証明しているのだろう。
普段は仕事に追われて、映画なんて縁のない生活をしている私が、この映画を見たのは本当に偶然だ。
たまたま時間が空いたので、十三に「靖国」を見に行こうかとおもったら、上映時間が合わなかった。そのままではシャクなので他のタイトルを眺めていたら、「光州」という文字が目に刺さったのである。
なぜ、刺さったのか。
光州市民蜂起は、私の生き方に、とんでもなく大きな跡をのこした出来事だったからだ。
キム・ジフン監督と比べれば、私は光州での出来事をリアルタイムで感じることのできる年齢だった。
気の重い受験勉強からやっと解放され、きょろきょろと世の中を見回し始めたばかりのころだった。
しかし、当時の報道は、何が起きたかをほとんど伝えなかった。
「光州5.18」のホームページでも、当時の新聞報道を掲載しているが、暴動が起きて軍に弾圧されたという程度にしか報道されていない。
27日に空挺部隊が突入した際の死者も、その後の軍の発表ですら189人、巷では2000人を超えると言われているのに、日本の新聞報道では4人とか16人などと書いてある。
当時新聞記者だった板垣英憲という人も「詳細は伝わってきていませんでした」と書いておられる。
要するに、日本のマスコミは軍事政権の発表を垂れ流していただけだったということだ。
そのせいだけにはできないけれども、私の80年5月の記憶の中には、光州はない。
数ヶ月遅れで何があったのかを知るまで、光州のことは知らなかったと言っていい。
だから、数ヶ月遅れで何があったのかを知ったとき、いったい俺は何を見て生きてきたのかと衝撃を受けた。
そして、さまざまな機会をとおして光州であったことを知るにつけ、忘れることのできないものとして、私の血肉のなかに染みこんでいった。なかでも「光州5月民衆抗争の記録」 は、非常に詳しい情報を提供してくれた。
そんなことがあったから、この映画のストーリーも、始まって10分くらいで想像はついた。
展開は想像できたけれども、登場人物のリアリティーに完全にはまってしまった。
たぶん、こういう人たちがいたんだろうなあ、という感じの連中ばかりが登場する。
ちょっと違うのは予備役大佐のパク・フンスくらいだ。
この役は、徴兵制のある韓国では、普通のオッチャンが普通にソルジャーになるということを、シンボライズした役だったように思う。
今、日本でこの映画を見る人たちが何を感じるのか、私にはわからないが、たぶん、過去に起きた悲劇を悲しむというスタンスになるのかもしれない。
私が、前半ののどかでオバカなシーンを見るのが辛くて、後半はほとんど涙が止まらない状態だったのは、ちょっと違う意味合いもある。
ほぼ史実であるだけに、もちろん単純に悲しいシーンということもあるけれども、それ以上に私の心に響いたのは、人間の可能性と、それ故の悲しさとでも言ったらいいのだろうか。
頭で考えたら、空挺部隊を相手に武器をとって抵抗するなんて、できるものではない。
でも、自分や家族の尊厳のためには、それをやってしまう人間の可能性。
それは、80年の光州に始まったことではなく、50年代~60年代の日本も含めて、世界中でそういう瞬間は訪れた。
その瞬間に、普通のオッチャンに宿る魂は、なにも特殊なものではなくて、普通の人間の輝きなのだと思う。
そんな輝きを見る瞬間があるから、やはり人間やめられないのかもしれない。
でも、その輝きはの結末は、必ず悲劇が待っている。
その悲劇は、光州のような惨劇だけではない。
勝利もまた、悲劇の始まりになるという、多くの事例を私たちは嫌と言うほど見せられてもいる。
かつて八路軍が艱難辛苦の末に勝ち取った中国が、今チベットを差別し弾圧する現実は、輝きは一瞬しか光を放たないということを、たしかに証明している。
この類は、挙げればきりがない。
それでも、やはり私は人間に絶望したくない。
悲しい瞬間にしか、その輝きを見ることができないという矛盾からは逃れられなくとも、今なお、イラクで、アフガニスタンで、チベットで、ミャンマーで、あるいはガザで、その他あまりにも多くの場所で、圧政と死を強制されている人たちがいるという現実。
光州市民を虐殺しクーデターで政権を簒奪した全斗煥を承認し、アメリカの戦争にはともに侵略に参加し、アメリカと手を結んだ中国には文句の一つも言えない、この国に住む私が、殺されゆく人々が放つ光に希望を感じるというこの大矛盾。
どうしたらいいかなんて分からないけれども、絶望なんてしなくて良いんだよ、という80年光州の魂を、今の私にあらためて伝えてくれる映画だった。
なんだか、支離滅裂になってきたけれども、ぜひ、多くの見て欲しい。
ちなみに、新梅田シティーのガーデンシネマは、水曜日は1000円なので、お財布の寒い方は利用されてはいかが。
鎮めても鎮めきれない魂を伝えるためにある歌 と言ったほうが良いのかもしれない。
「光州5.18」は、1971年生まれの監督によって撮られた。
当時9才のキム・ジフン監督がこれを撮り、28年たった今、韓国では大ヒットしているという事実が、この映画が鎮魂歌であることを証明しているのだろう。
普段は仕事に追われて、映画なんて縁のない生活をしている私が、この映画を見たのは本当に偶然だ。
たまたま時間が空いたので、十三に「靖国」を見に行こうかとおもったら、上映時間が合わなかった。そのままではシャクなので他のタイトルを眺めていたら、「光州」という文字が目に刺さったのである。
なぜ、刺さったのか。
光州市民蜂起は、私の生き方に、とんでもなく大きな跡をのこした出来事だったからだ。
キム・ジフン監督と比べれば、私は光州での出来事をリアルタイムで感じることのできる年齢だった。
気の重い受験勉強からやっと解放され、きょろきょろと世の中を見回し始めたばかりのころだった。
しかし、当時の報道は、何が起きたかをほとんど伝えなかった。
「光州5.18」のホームページでも、当時の新聞報道を掲載しているが、暴動が起きて軍に弾圧されたという程度にしか報道されていない。
27日に空挺部隊が突入した際の死者も、その後の軍の発表ですら189人、巷では2000人を超えると言われているのに、日本の新聞報道では4人とか16人などと書いてある。
当時新聞記者だった板垣英憲という人も「詳細は伝わってきていませんでした」と書いておられる。
要するに、日本のマスコミは軍事政権の発表を垂れ流していただけだったということだ。
そのせいだけにはできないけれども、私の80年5月の記憶の中には、光州はない。
数ヶ月遅れで何があったのかを知るまで、光州のことは知らなかったと言っていい。
だから、数ヶ月遅れで何があったのかを知ったとき、いったい俺は何を見て生きてきたのかと衝撃を受けた。
そして、さまざまな機会をとおして光州であったことを知るにつけ、忘れることのできないものとして、私の血肉のなかに染みこんでいった。なかでも「光州5月民衆抗争の記録」 は、非常に詳しい情報を提供してくれた。
そんなことがあったから、この映画のストーリーも、始まって10分くらいで想像はついた。
展開は想像できたけれども、登場人物のリアリティーに完全にはまってしまった。
たぶん、こういう人たちがいたんだろうなあ、という感じの連中ばかりが登場する。
ちょっと違うのは予備役大佐のパク・フンスくらいだ。
この役は、徴兵制のある韓国では、普通のオッチャンが普通にソルジャーになるということを、シンボライズした役だったように思う。
今、日本でこの映画を見る人たちが何を感じるのか、私にはわからないが、たぶん、過去に起きた悲劇を悲しむというスタンスになるのかもしれない。
私が、前半ののどかでオバカなシーンを見るのが辛くて、後半はほとんど涙が止まらない状態だったのは、ちょっと違う意味合いもある。
ほぼ史実であるだけに、もちろん単純に悲しいシーンということもあるけれども、それ以上に私の心に響いたのは、人間の可能性と、それ故の悲しさとでも言ったらいいのだろうか。
頭で考えたら、空挺部隊を相手に武器をとって抵抗するなんて、できるものではない。
でも、自分や家族の尊厳のためには、それをやってしまう人間の可能性。
それは、80年の光州に始まったことではなく、50年代~60年代の日本も含めて、世界中でそういう瞬間は訪れた。
その瞬間に、普通のオッチャンに宿る魂は、なにも特殊なものではなくて、普通の人間の輝きなのだと思う。
そんな輝きを見る瞬間があるから、やはり人間やめられないのかもしれない。
でも、その輝きはの結末は、必ず悲劇が待っている。
その悲劇は、光州のような惨劇だけではない。
勝利もまた、悲劇の始まりになるという、多くの事例を私たちは嫌と言うほど見せられてもいる。
かつて八路軍が艱難辛苦の末に勝ち取った中国が、今チベットを差別し弾圧する現実は、輝きは一瞬しか光を放たないということを、たしかに証明している。
この類は、挙げればきりがない。
それでも、やはり私は人間に絶望したくない。
悲しい瞬間にしか、その輝きを見ることができないという矛盾からは逃れられなくとも、今なお、イラクで、アフガニスタンで、チベットで、ミャンマーで、あるいはガザで、その他あまりにも多くの場所で、圧政と死を強制されている人たちがいるという現実。
光州市民を虐殺しクーデターで政権を簒奪した全斗煥を承認し、アメリカの戦争にはともに侵略に参加し、アメリカと手を結んだ中国には文句の一つも言えない、この国に住む私が、殺されゆく人々が放つ光に希望を感じるというこの大矛盾。
どうしたらいいかなんて分からないけれども、絶望なんてしなくて良いんだよ、という80年光州の魂を、今の私にあらためて伝えてくれる映画だった。
なんだか、支離滅裂になってきたけれども、ぜひ、多くの見て欲しい。
ちなみに、新梅田シティーのガーデンシネマは、水曜日は1000円なので、お財布の寒い方は利用されてはいかが。
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